みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
私たちはよく「年収が上がれば幸せになれる」と考えがちです。
私自身、会社員時代は自分の価値も幸福も、すべてを数字で測って生きてきました。
しかし、本当に幸福は数字で測れるものなのでしょうか?
今回は私の経験を通して、少し立ち止まって考えてみたいと思います
第一章 すべてを「年収」で測っていた頃

30代で会社員をしていた頃の私は、自分の価値も幸福も、すべて『年収』で評価していたのです。
前年より給料が上がれば「今年は良い年だった」と満足し、同期より少しでも下回っていると知れば、それだけで気持ちが沈んでしまう。私はずっと、そんな日々を過ごしていました。
友人との飲み会でも、話題はいつの間にか年収やボーナスの額に変わっていました。
誰かが「今年は良い数字が出た」と笑えば、その場にいる全員が、その一言に一喜一憂する。
まるで「どれくらい幸せなのか」を測るための、共通の物差しをみんなで持ち寄っているようでした。
私も、その物差しを疑うことなく、毎年せっせと自分を測り続けていたのです。
考えてみれば、年収はとても分かりやすい数字です。
前年より増えたのか、減ったのか。同年代と比べて高いのか、低いのか。数字になっているからこそ、比較もしやすい。
だからこそ私は、「年収が上がること=幸せになること」だと、いつの間にか考えるようになっていました。
けれど、本当に幸福は数字で測れるものなのでしょうか。
第二章 数字が教えてくれなかったこと
これで幸せになれるはずだ——そう信じて疑わなかった私に、転機が訪れました。
昇進して大幅に給料が上がったにもかかわらず、胸の奥を満たしたのは幸福感ではなく、強い違和感だったのです。
むしろ以前より仕事に追われ、家に帰る時間も遅くなり、心はすり減っていくばかり。
数字の上では明らかに「成功」だったはずなのに、肝心の自分自身は満たされていない。
そのギャップに、私は初めて違和感を覚えました。
そんな折、学生時代の友人に久しぶりに会う機会がありました。
彼は決して高収入とは言えない仕事をしていましたが、その表情は穏やかで、生き生きとしていました。
「毎朝、近所の川沿いを散歩するのが日課なんだ」
そう穏やかに笑う彼を見て、私はハッとしました。
彼は数字には表れない『何か』を、丁寧に大切に育てているのだと気づいたのです。
それなのに私は、その何かを見ようともせず、ただ数字ばかりを追いかけていたのではないか。
そのとき初めて、「収入」と「幸福」は、本当に同じものなのだろうかと思ったのです。
お金は生活にとって重要です。欲しいものを買ったり、将来への不安を減らしたり、選択肢を増やしたりする力もあります。だから、年収が幸福と無関係だとは思いません。
ただ、年収が上がったからといって、それだけで人生全体が幸せになるわけではない。
自分の経験を通して、私はその当たり前のことに気づいたのです。
第三章 数字で測れない「小さな喜び」
そこで私は、試しにひと月だけ「今日、嬉しかったこと」を三つ、寝る前にノートへ書き出してみることにしました。
最初は、何を書けばいいのか分かりませんでした。
これまで数字ばかりを気にしてきた自分にとって、正解がわからないような感覚だったのです。
仕事の売上や評価といった「数字にできること」ならいくらでも思い浮かぶのに、自分が何に喜びを感じたのかと聞かれると、すぐには答えられませんでした。
けれど、数日続けるうちに、少しずつ視点が変わっていきました。
「コンビニの店員さんが丁寧にお辞儀をしてくれた」
「昼休みに見た空がきれいだった」
「同僚がさりげなく仕事を手伝ってくれた」
そんな、これまでなら気にも留めなかった出来事が、次々とノートに並んでいきます。
そこで驚いたのは、これらの出来事には金額も点数もつけようがないということでした。
いくらの価値があるのか。
何点の幸福なのか。
他の人と比べてどれくらい幸せなのか。
そんなことは、簡単には決められません。
それでも、それらを書き出しているとき、私の心は確かに温かくなっていました。
数字にできないからといって、それが幸福ではないとは言えない。
むしろ、幸福には数字で表しにくい部分がたくさんあるのではないか。
私は、少しずつそう考えるようになりました。
たとえば、私がパニック障害で電車で発作を起こしてしまった時、助けてくれたサラリーマンの方の優しさ。いくらのお金にも換算できないこの感謝も、ノートに書き留めたい喜びの一つです。
第四章 自分だけの物差しを見つける
振り返ってみると、私が数字に頼っていた本当の理由は、「誰かと比べて安心したかったから」だったのだと思います。
年収や社内の評価、貯金額やフォロワー数。これらは数字そのものというより、「誰かと比べたとき」に初めて強く意識してしまうものです。
自分が十分なのかどうかを、自分自身の感覚ではなく、周囲の数字を見ながら判断していたのです。
つまり私は、幸福そのものではなく、「他人より劣っていない」という安心感を追い求めていたのかもしれません。
けれど、比較には終わりがありません。
上には上がいて、どれだけ数字を積み上げても、いつか自分より高い数字を持つ誰かが現れます。
手に入れた瞬間は嬉しくても、ふと画面の向こうの誰かを見れば、自分の数字が急に色あせて見えてしまう。
それはまるで、終わりのない『幸せの順位争い』を走り続けているような感覚でした。
数字を基準にして他人と比べ続けている限り、「これで十分だ」と思える日はなかなかやってきません。
数字には、現在地を確認する便利さがあります。
一方で、それを幸福の順位表のように使い始めると、いつまでも自分を誰かと比べ続けることになってしまう。
数字そのものが悪いわけではなく、数字で自分の価値を判断しようとしていた自分が苦しかったのです。「もう、誰かと比べるのはやめよう」。
そう心から思えた時、ようやく肩の荷が下りました。
第五章 それでも数字が意味を持つとき
ただ、私は数字がまったく無意味だと言いたいわけではありません。
目標を立てて努力し、それが数字として結果に表れたときの達成感は、確かに人生の喜びの1つです。
資格試験に合格した日。
貯金が目標額に達した日。
仕事で目標としていた成果を出せた日。
そうした瞬間の喜びを、私自身これまで何度も味わってきました。
お金も同じです。
生活を安定させるためには必要ですし、経済的な余裕があることで、住む場所や働き方、休日の過ごし方など、人生の選択肢が広がることもあります。
だからこそ問題なのは、数字を持つこと自体ではなく、「数字の大きさだけで幸福を判断してしまうこと」なのだと思います。
本当に大切なのは、数字を追いかける「目的」にするのか、歩んだあとの「結果」として受け止めるのかという違いです。
数字を追いかけることそのものを人生の目的にしてしまうと、どこまで行っても「まだ足りない」という感覚から逃れにくくなります。
けれど、自分が大切にしたい時間や人との関係、やってみたいことに向かって歩いた結果として、良い数字がついてきたのなら、それは素直に喜んでいい。
数字は幸福そのものではありません。
けれど、幸福な生活を支える1つの要素にはなり得る。
今の私は、そんなふうに考えています。
第六章 物差しを手放してみる
あれから数年が経ち、私はもう、年収の数字だけで自分を測ることをやめました。
代わりに、
「今日は誰かに優しくできただろうか」
「心から笑えた瞬間はあっただろうか」
「自分らしく過ごせただろうか」
そんな問いを、自分に投げかけるようになりました。
もちろん、生活のためにお金は必要ですし、数字を完全に無視して生きることもできません。
年収、貯金、仕事の成果、使える時間。
数字によって確認できるものは、私たちの生活に確かに存在しています。
だから「お金なんて関係ない」「数字なんて気にしなくていい」と簡単に言うつもりもありません。
大切なのは、数字をどこに置くかということです。
幸福を測る唯一の物差しとして使うのか。
それとも、自分の人生を振り返るための一つの指標として使うのか。
その違いは、意外と大きいのではないでしょうか。
幸福には、数字にできる部分と、数字にはできない部分があります。
誰かと過ごした時間。
ふと見上げた空。
何気ない会話で笑った瞬間。
好きなものをゆっくり味わった時間。
何も予定を入れず、安心して眠れた休日。
そうした小さな出来事は、年収にも点数にもランキングにも表れません。
けれど、それらを思い出したとき、私たちは確かに「幸せだった」と感じることができます。
では、幸福は数字で測れるのでしょうか。
幸福のほんの一部は数字で確認できても、幸福そのものを数字だけで測ることはできないのだと考えています。
年収がいくらあるか。
貯金がいくらあるか。
どれだけ人に評価されたか。
それらは人生を考えるうえで大切な数字です。
でも、それだけでは「自分は幸せなのか」という問いには答えられません。
もし今、何かの数字に振り回されて苦しんでいる方がいるのなら、一度だけ、その物差しを脇に置いてみてください。
そして今日1日を、静かに振り返ってみてほしいのです。
いくら稼いだか。
誰より上だったか。
どれだけ評価されたか。
そんな数字から少し離れて、
「今日、何に心が動いたか」
を思い出してみる。
そこにはきっと、数字では表せない、あなただけの小さな幸福があるはずです。
幸福を数字で測ることは、完全にはできない。
だからこそ、自分にとって何が幸せなのかを、自分自身で確かめていく必要があるのかもしれません。
数字は人生を測るための便利な物差しです。
けれど、人生そのものではない。
B型事業所で作業をし、穏やかな日々を過ごす今の私にとって、幸福とは数字ではなく心で感じるものに変わりました。数字は便利な鏡ですが、幸せの形そのものは決められないのです。
今夜は物差しをそっと横に置いて、今日出会った『小さな優しさ』や『心地よかった瞬間』を、ひとつだけ思い出してみませんか?
以上、ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。


