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桜に想いを馳せる ― 毎年想うこと ―

趣味・日記
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みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。

3月も終わりに近づくと、私はなんとなく空を見上げる回数が増えます。まだ枝だけの桜の木々の先に、ほんのわずかなほころびを見つけようとするように。桜が咲く前から、もうすでに桜のことを考えている。毎年繰り返される、この不思議な季節の始まりです。

桜というのは本当に不思議な花だと思います。開花から散り終わるまで、わずか2週間足らず。それでも毎年、これほどまでに多くの人が心を奪われる。

私もそのひとりで、いつからそうなったのかもよく覚えていないのですが、気がつけば春の訪れを桜で測るようになっていました。

桜を待つ時間

今年も近所の公園を歩いていると、木の根元に小さなテントを張って宴の準備をしているグループを見かけました。まだ咲いてもいないのに、もう場所取りです。思わず笑ってしまいましたが、その気持ちはよくわかります。桜というのはそれだけ、人を前のめりにさせる力を持っている花なのだと思います。

この季節に想うこと

私が毎年この季節に想うのは、「去年の桜」のことです。去年はどこで見たのか、誰と見たのか、天気はどうだったのか。

記憶というのは曖昧なもので、写真を見返すまでうまく思い出せないこともありますが、それでも「あのときの桜はきれいだったな」という感覚だけは、なぜかいつもはっきりと残っています。

匂いや空気の温度まで含めた、丸ごとの記憶として。

桜は、時間の感覚を鋭くさせてくれる花だとも感じます。「また一年が経ったんだな」という、シンプルだけれど少し胸に刺さるような実感。

子どもの頃は「また桜の季節だ!」と無邪気に喜んでいたはずなのに、いつのまにか「もう桜の季節か」という感慨を覚えるようになりました。これはきっと、誰しもが通る道なのでしょう。

そう考えると、桜の木というのはすごいものです。私が生まれる前からそこに立っていて、私の知らない誰かの春も、私の子どもの頃の春も、そして今この瞬間の私の春も、同じように見てきた。

風に揺れる花びらのひとつひとつには、どれほどの時間が積み重なっているように感じます。

それは、静かに私へ語りかけてくるような気がします。

散り際のこと

桜が散るときの話もしておかなければなりません。あの潔さというか、惜しみなく散っていく様子を見るたびに、私は妙に清々しい気持ちになります。花びらが風に乗って一斉に舞うあの瞬間は、咲いているときよりもかえって美しいと感じることさえあります。

日本人が昔から桜に特別な感情を抱いてきた理由が、なんとなくわかる気がします。

散った後の地面を歩くのも、私は好きです。薄ピンクの花びらが敷き詰められた道を歩いていると、ここだけ時間が止まっているような、そんな錯覚を覚えます。

雨上がりに水たまりへ落ちた花びらが、そのまま静かに浮かんでいる光景もたまらなく好きで、毎年必ず一度はしゃがみ込んで眺めてしまいます。

周りから見たら少し不思議に思われているかもしれません。

毎年同じように春が来て、毎年同じように桜が咲く。

それなのに、毎年少しずつ見え方が変わっているような気がするのは、きっと私自身が変わり続けているからなのだと思います。

去年の自分と今年の自分が同じ木を見ている。そのことが、なんだかとても尊いことに思えてなりません。

おしまいに

来年の桜も、また見られますように。

そして来年の私が、今年とは少し違う目で空を見上げていますように。

春のたびにそう願いながら、私は今年も花びらが舞い落ちるのを、

ただ、静かに見送るのです。

また次の機会にお会いしましょう。