みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
あの頃は『絶対こうなんだ』と信じていたのに、大人になって振り返ると勘違いだらけだった——今回はそんなお話です。
CHAPTER 01
世界はぜんぶ、大人が決めているのだと思っていた。

小学校に入る前のことです。テレビのニュースキャスターが難しそうな顔で話しているのを見るたびに、「あの人たちは毎日、世界のことを全部知っているんだ」と信じて疑いませんでした。担任の先生は給食のメニューまで決めているはずだし、駅員さんは電車の行き先をその場でスイッチひとつで変えられると思っていました。大人とはそういうもの、つまり「すべてを把握して管理している存在」だと。
ある日、母に「先生って、休みの日は何してるの?」と聞いたことがあります。「お買い物したり、掃除したりよ」と答えてもらったとき、頭の中が真っ白になりました。先生も買い物に行くのか、と。学校の外にも先生は存在しているのか、と。それはまるで、テレビの中の人が画面から出てきたような衝撃でした。大人には大人の都合があり、知らないことがあり、失敗もする——その当たり前の事実に気づいたのは、ずいぶん後のことです。
『先生ってスーパーにも行くの!?』と、本気で世界の裏側を見てしまった気分になりました。
子どもにとっては立派なコペルニクス的転回でした。
CHAPTER 02
言葉の音だけで覚えていた、あの頃の歌詞と慣用句。

子どもの頃、言葉は「意味」より先に「音」として体に入ってきます。だから、ずいぶん長い間おかしな形で覚えていた言葉がいくつもあります。たとえば、よく耳にしていた「けんもほろろ」という表現。なんとなく「けんも・ほろほろ」だと思い込んでいて、おせんべいの食感の話かな、とぼんやり考えていました。“けんも・ほろほろ”という名前のお菓子か何かだと思っていて、口の中で崩れる系なんだろうな、と勝手に想像していました。
知人から聞いた話では、「情けは人のためならず」を「情けをかけると相手のためにならない」という意味だと長年信じていた、という人もいました。実際には反対の意味なのですが、それをやさしく教えてくれた人に「え、そうなの!?」と声を上げてしまい、周りの人に笑われたそうです。正しい意味を知った後も、なぜかもとの解釈の方がしっくりくる感覚が残る、と言っていました。思い込みというのは、訂正されても居座るものらしいです。
CHAPTER 03
テレビの向こうの人たちは、ずっとそこに「いる」と思っていた。

幼い頃、テレビというのは「窓」だと感じていました。画面の向こう側に本物の人がいて、こちらのことも見えているんじゃないかと。だから、怖い番組が始まると咄嗟にテレビから視線をそらしていました。もし画面の向こうの人と目が合ったら、“こちらの存在がバレる”気がして、本気で怖かったのです。チャンネルを変えるたびに「急にスイッチを切られた人たち」のことが心配になって、消す前にそっとテレビに向かって「ごめんね」と言っていた時期もありました。
同じような話は、あちこちで聞きます。ラジオから声が聞こえるたびに「この人は箱の中に入っているの?」と思っていた子、映画館で映像が終わったあとスクリーンの裏に俳優さんが立っていると信じていた子。それぞれの「テレビ理論」は違っても、メディアの中の世界と現実の区別がふんわりしていた、という点では共通しています。あの頃の感覚を思い出すと、世界がずいぶん広くてやわらかだったように感じます。
チャンネルを変えられた人たちのことが心配で、
テレビにこっそり「ごめんね」と言っていた。
CHAPTER 04
「大人になればわかる」は、本当に正しかったのか。

大人になると、子どもの頃の勘違いをひとつひとつ訂正できるようになります。先生にも知らないことがある、慣用句には正しい意味がある、テレビは電波で映像が届いている——そういった「正解」を積み上げて、世界の解像度は上がっていきます。でも、と思うのです。正解を知ることと、世界が豊かになることは、必ずしも同じではないかもしれない、と。
チャンネルを変えられた人を心配していた子どもの方が、もしかすると画面の向こうに「人の存在」を感じていたかもしれません。慣用句を音で丸ごと覚えていた頃の方が、言葉のリズムを体で感じていたかもしれません。勘違いは訂正すべきですが、その勘違いの中にあった感性や想像力は、案外大切なものを含んでいた気がします。大人の「正解」は、子どもの「見え方」より正確ですが、豊かかどうかはわかりません。
そんなことを思いながら、先日ふと「情けは人のためならず」の意味を職場の同僚に話したところ、「え、そうなんですか!ずっと逆の意味だと思ってました!」と言われました。
その人、四十代でした。
子どもの頃の勘違いは、大人になると笑い話になります。
でも案外、“今も気づかないまま信じ込んでいること”は、誰の中にもあるのかもしれません。
以上、子どもの頃の間違いは意外と今も続いているのかなぁと思わざるを得ないですね。
それではまたの機会にお会いしましょう。


