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SNSで幸せを見すぎた世代の幸福論――「足りない自分」を手放すまで

趣味・日記
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みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。

スマホの画面をロックする直前、誰かの「幸せそうな瞬間」がふと目に飛び込んできます。そんな日々を、もう何年も繰り返してきた気がします。今回は、そんな自分自身の体験をたどりながら、SNS世代の「幸福論」について考えてみたいと思います。

タイムラインは幸せの見本市だった

朝起きて最初にすることが、SNSを開くことでした。友人の旅行写真、同期の昇進報告、知人の結婚式の一コマ。タイムラインには、切り取られた「幸せの瞬間」ばかりが並んでいます。

はじめのうちは、それを眺めるのが単純に楽しみでした。でも次第に、無意識のうちに自分の生活と重ね合わせるようになっていったのです。「みんな充実しているのに、自分は何をしているんだろう」。そんな思考が、朝のほんの数分間の習慣から静かに始まっていました。

振り返ってみると、私たちの世代は、他人の人生のハイライトシーンを、まるで日常の風景のように浴び続けてきた世代なのだと思います。誰かの一番輝いている瞬間と、自分のありふれた毎日を、気づかないうちに並べて見てしまっていたのです。それがいつのまにか当たり前になっていました。

比較のループにハマった夜

ある夜、ベッドに入ってからも延々とSNSをスクロールしていたことがあります。特に見たいものがあったわけではありません。ただ、指だけが勝手に動いていました。

その時、ふと気づいたのです。「私は今、誰かと比べるために画面を見ている」と。楽しいから見ているのではなく、不安だから確かめているのです。自分の立ち位置を、他人の投稿でしか測れなくなっていたのだと思います。

比較というのは、一度始まると止まりません。誰かに追いついたと思えば、すぐにまた別の誰かが現れます。ゴールの見えないマラソンを、深夜に一人で走り続けているような感覚でした。この感覚に、どこか心当たりがある方も少なくないのではないかと思います。

「普通の幸せ」を疑い始めた瞬間

転機になったのは、ある友人との何気ない会話でした。彼女は投稿ではいつも笑顔で、誰よりも充実した毎日を送っているように見えていた人です。でも実際に話してみると、彼女もまた、別の誰かの投稿を見ては落ち込むことがあると打ち明けてくれました。

その瞬間、自分の中で何かがすっと崩れる感覚がありました。「幸せそうに見える人」も、同じように誰かと比べて苦しんでいたのです。つまりSNS上の幸せは、そのまま鵜呑みにできるものではなく、あくまで一部だけを切り取った表現にすぎないのだと、実感として腑に落ちたのです。

それまで、「普通の幸せ」という基準を、無意識のうちに他人の投稿から作り上げていたことにも気づきました。結婚のタイミング、キャリアの進み方、休日の過ごし方。そのどれもが、誰かが決めた「正解」ではありません。私が勝手に他人の投稿から拾い集めてつなぎ合わせた、「幻の基準」にすぎなかったのです。

自分の物差しを取り戻す小さな習慣

そこから、少しずつ変えていったことがあります。大げさなことではなく、本当に小さな習慣です。

まず、寝る前と起きてすぐのSNSチェックをやめました。その代わりに、その日感じたことを一言メモに残すようにしたのです。「今日楽しかったこと」「今日ほっとした瞬間」を、誰かに見せるためではなく、自分のためだけに書き留めるようにしました。

続けていくうちに気づいたのは、自分の生活にも、ちゃんと「良かった瞬間」があるということでした。ただそれは、写真映えするものでも、誰かに披露するようなものでもなかっただけなのです。お昼休みに友人と交わす他愛のない会話や、仕事終わりに飲む温かいコーヒーの香り。そんな些細な時間の中にこそ、確かな満足感がありました。

比較する対象を、他人から「昨日の自分」に変えただけで、心の負担がずいぶんと軽くなった感覚があります。

幸せは「見る」ものじゃなく「感じる」もの

今でもSNSは使い続けています。完全に離れることだけが正解だとは思っていません。ただ、以前とは向き合い方が変わりました。誰かの投稿を見て落ち込みそうになったら、「これは切り取られた一場面にすぎない」と、一度立ち止まって考えるようにしています。

私たちの世代は、幸せを「見る」ことに慣れすぎていたのかもしれません。他人の幸せを眺め、自分の幸せをそれと比べてしまうのです。でも本来、幸せというのは見るものではなく、日々の中で自分自身が感じ取るものなのだと思います。

タイムラインには映らない小さな満足感を、これからも一つずつ拾い集めていきたいと思っています。そんなふうに思える今があるのは、あの比較のループに苦しんだ日々があったからこそなのかもしれません。

もし今、誰かの投稿を見て苦しくなっている方がいたら、少しだけ画面から目を離してみてください。そこにはきっと、あなただけの「見過ごしていた幸せ」が、静かに待っているはずです。

あなただけの『小さな幸せ』はなんですか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。またお会いしましょうね。