就労継続支援B型事業所かなうラボの記事を更新♪

効率という物差しを、一度手放してみた日

趣味・日記
この記事は約5分で読めます。

みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。

「効率」では測れないものが、あなたの時間にも眠っているかもしれません。今日はそんな話をしてみます。

はじめに

「タイパ」という言葉を、もう当たり前のように使うようになりました。動画は倍速で見て、要約サイトであらすじだけ確認し、無駄な工程はできるだけ削るようになりました。SNSを開けば「時短」「爆速」「コスパ最強」という言葉があふれていて、立ち止まること自体が悪いことのように感じてしまう時代なのかもしれません。私自身も、そうやって時間を「節約」することに、ずっと価値を感じてきた一人です。でも、あるとき立ち止まって気づいたことがあります。効率よく生きているはずなのに、なぜか心のどこかが満たされませんでした。むしろ、何かに追い立てられているような息苦しさすら感じていました。今回は、そんな違和感から始まった、私なりの気づきの話をさせてください。

第一章:効率という物差しに追われていた日々

就労継続支援の事業所を利用し始めた頃、パソコン入力を行う際、私は常に「早く」「無駄なく」を自分に課していました。作業の手順も、会話も、休憩の取り方まで、どこかで「これは効率的かどうか」を基準に判断していたように思います。作業の手順を一つ間違えただけで頭の中が真っ白になり、「またやってしまった」と自分を責めていました。休憩時間ですら、次の作業のことを考えて心が休まらない、そんな日々でした。

スタッフの方が「ゆっくりでいいですよ」と声をかけてくれても、内心では「早く終わらせなきゃ」と焦っている自分がいました。優しい言葉をかけてもらえばもらうほど、それに応えられていない自分が情けなくて、余計に苦しくなることもありました。

振り返ると、その焦りの根っこにあったのは、効率よくこなせない自分への不安だったのだと思います。効率という物差しは、便利なようでいて、いつの間にか自分を測る唯一の基準になってしまいます。そして、その基準でしか自分を評価できなくなると、少しのつまずきが「自分はダメだ」という結論に直結してしまうのです。そのことに、当時の私は気づいていませんでした。

第二章:遠回りの中にあった、思いがけない発見

そんな私のガチガチになった「効率の物差し」が壊れるきっかけとなった日があります。ある日、いつものように作業を進めていたとき、予定より大幅に時間がかかってしまったことがありました。正直、その日は「非効率な一日」だったと自分では感じていました。終わったあと、いつもならすぐに次の作業に移るところを、その日はなぜか少しだけ、自分の手元を眺める時間がありました。

すると、普段なら見過ごしていた小さな工夫に気づきました。たとえば、資料の置き方を少し変えるだけで入力がスムーズになること。隣の席の人が、キーボードの音を立てず丁寧に作業していること。急いでいたときには目に入らなかった穏やかな景色が、そこには広がっていました。

効率だけを追っていたら、きっと素通りしていた時間でした。遅れてしまった、失敗した、と思っていた時間の中に、実は発見が隠れていました。遠回りしたからこそ見えたものがありました。そう思えたとき、ずっと張り詰めていた肩の力が、少しだけ抜けた気がしました。

第三章:「効率的じゃない」時間が、人とのつながりを作っていた

スタッフの方との何気ない雑談も、以前の私にとっては「本題に関係のない、余分な時間」でした。作業の合間に交わされる天気の話や、休日に見たテレビの話など、そういう会話を、心のどこかで「時間の無駄」だと思っていた自分がいたのです。

でも、あるとき体調が優れずうまく話せなかった日がありました。何を聞かれても言葉がうまく出てこなくて、情けなさと焦りで泣きそうになっていたとき、スタッフの方は急かすことなく、ただ隣に寄り添うように待ってくれました。何かを解決してくれたわけではありません。アドバイスも、励ましの言葉も、特になかったように思います。ただ、時間を共にしてくれただけです。

けれど、その「何もしていないように見える時間」が、私にとってはどんな効率的なアドバイスよりも支えになりました。言葉にならない気持ちを、言葉にしなくても受け止めてもらえた感覚がありました。人とのつながりは、きっと効率化できないものの代表格なのだと思います。待つこと、寄り添うこと、沈黙をそのまま受け入れること。これらはどれも時間がかかりますし、成果としては見えにくいものです。でも、そこにこそ人を支える力があるのだと、身をもって知りました。

第四章:効率と非効率、両方があっていい

こうして振り返ってみると、私はずっと「効率が悪い自分」を否定してきました。でも今は少し違う見方をしています。効率は、限られた時間の中で物事を進めるための、有効な考え方のひとつです。それ自体を否定する必要はありません。締め切りに追われるときや、やるべきことが山積みのときには、効率という物差しに助けられることも確かにあります。

ただ、それがすべての物差しになってしまうと、時間をかけたからこそ育つものや、寄り道の中で見つかるものを、見失ってしまいます。人との関係も、自分の心の状態も、数値化できない部分にこそ本質があることが多いように思うのです。

大切なのは、効率か非効率かの二択で生きることではなく、状況に応じて物差しを選び直せる自分でいることなのかもしれません。急いでいいときは急げばいいのです。でも、立ち止まっていい時間があることも、忘れずにいたいと思うのです。

おわりに

「効率」では測れないものを大切にしたいと考えています。それは、非効率であることを美化したいわけではありません。ただ、数字や速さだけでは映らない時間の中に、確かに意味のあるものがあります。そのことを、これからも心のどこかに置いておきたいと思っています。

もしあなたの毎日にも、急ぎすぎて見過ごしているものがあるとしたら、今日だけは少し、立ち止まってみてもいいのかもしれません。その立ち止まった先に、思いがけない発見が待っているかもしれませんから。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あなたの今日という日が、少しでもホッとできる時間になりますように。