第一章 「正解探し」という呪い
みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
私たちは幼いころから、「正解」を探すことを教えられて育ちます。

学校のテストには正解があり、マナーには望ましい振る舞いがあり、受験には偏差値という基準があります。
進学や就職についても、「この道を選べば安心」「こう生きるのが普通」といった考え方に触れる機会は少なくありません。
その積み重ねの中で、私もいつの間にか「人生にも正解があるはずだ」と強く思い込んでいました。
思い返せば私自身、『この年齢ならこうあるべき』という社会の求める『正解』や『普通』に合わせようとするあまり、体や心をすり減らし、立ち止まってしまった経験があります。
体と心が悲鳴を上げ、立ち止まるしかなかったあの頃。
自分に合ったペースで働く一歩を踏み出す場所である、就労継続支援B型事業所かなうラボに通うようになったのも、そうした葛藤の末のことでした。
あの時違う決断をしていたら。
もっと上手く生きられていたら。
「もしあのまま働き続けていたら」「もし違う選択をしていたら」
そんな「選ばなかった未来」の眩しい残像を思い浮かべては、『自分だけが間違った道を歩いているのではないか』と、自分を責めてばかりいたのです。
特に今は、SNSを開けば誰かの成功や幸せそうな暮らしが次々と目に入ります。
昇進した友人。
夢をかなえた知人。
家族との笑顔を投稿する人。
新しいことに挑戦している誰か。
それらを見ているうちに、「自分だけが取り残されているのではないか」と感じた経験がある人もいるでしょう。
もちろん、SNSに映る姿がその人の人生のすべてではありません。
それでも、私たちは無意識のうちに自分と誰かを比べてしまいます。
けれど、スマホの画面に映る『誰かの正解』は、必ずしも『自分の幸せ』と同じではないのかもしれません。
しかし、少し立ち止まって考えてみると、不思議なことがあります。
人生は、学校の試験のように答えが一つだけ用意された問題ではありません。
誰かが作った模範解答をなぞれば、必ず幸せになれるという保証もありません。
それなのに私たちは、存在するかどうかも分からない「正解」を探し続けています。
もしかすると、そのこと自体が私たちを苦しめる理由なのかもしれません。
第二章 なぜ私たちは「正解」を探してしまうのか
では、なぜ人はここまで「正解」にこだわるのでしょうか。
それは、答えが分からない状態に不安を覚えるからです。
何が正しいのか分からない。
どちらを選べばいいのか決められない。
そんな時間は、誰にとっても落ち着かないものです。
だから私たちは、「これが正しい」と言ってくれる答えを探そうとします。
さらに、今の社会には比較する場面があふれています。
学校では成績や順位。
社会に出れば肩書や年収。
インターネットではフォロワー数や「いいね」の数。
私たちは知らず知らずのうちに、何かを比べることに慣れています。
その延長線上で、「人生そのものにも順位があるのではないか」と感じてしまうのは、不思議なことではありません。
一方で、生き方の選択肢は昔よりも増えています。
一つの会社で働き続ける人もいれば、転職や副業を選ぶ人もいます。
結婚する人もいれば、しない人もいます。
都会で暮らす人もいれば、地方へ移住する人もいます。
自由に選べることは、とても素晴らしいことです。
けれど、その自由は「自分で決める責任」と隣り合わせでもあります。
選択肢が少なければ迷うことも少なく済みます。
しかし、選択肢が増えるほど、
「もっと良い道があったのではないか。」
「別の人生の方が幸せだったのではないか。」
そんな思いが頭をよぎることがあります。
だから私たちは、選んだあとも「これで良かったのかな」と他人の SNS や評判を見て、答え合わせをしたくなってしまうのです。
けれど、本当に人生は答え合わせのできるものなのでしょうか。
誰かにとって良い選択が、自分にとっても良い選択になるとは限りません。
人それぞれ大切にしたいものが違う以上、一つの基準だけで人生の良し悪しを決めることはできないのだと思います。
第三章 「納得解」という考え方
体と心を病み、立ち止まっていた私ですが、かなうラボでの日々を通して「精神疾患を持ちながらも、自分にできることは確かにあるんだ」と感じられた瞬間がありました。
そのとき、暗闇の中にすっと光が差し込み、ようやく気づけたのです。
人生に必要なのは誰かが決めた「正解」ではなく、自分自身が導き出す「納得解」なのだと。
納得解とは、いわば「自分が納得して選んだマイベスト」です。たとえば、みんなが選ぶ人気メニューではなく「今の自分が本当に食べたいもの」を選ぶような、自分なりの納得した答えのことです。
そこに必要なのは、誰かの評価ではありません。
「あの時の自分は、本当に悩みながらも、自分なりに決めた。」
そう思えることが何より大切なのだと思います。
もちろん、自分で選んだからといって、必ず思い通りの結果になるわけではありません。
努力してもうまくいかないこともあります。
予想もしなかった出来事に進む道が変わることもあります。
人生は、自分だけでコントロールできるものではないからです。
それでも、自分で考え、自分で決めたという事実は残ります。
結果だけで人生を評価するのではなく、そこへ至るまでの過程にも価値を見いだせるようになると、たとえ失敗と思える出来事があっても、その経験を次へ生かしやすくなるのではないでしょうか。
反対に、周りから見れば成功しているように見えても、それが誰かの期待に応えるためだけの選択だったとしたら、心のどこかにわだかまりが残ることがあります。
人生で本当に苦しいのは、失敗そのものではなく、
「自分で選ばなかった。」
という思いなのかもしれません。
だから人生の岐路に立ったときは、
「これは正解だろうか。」
ではなく、
「今の自分は、この選択に納得できるだろうか。」
そう問いかけてみることが、自分らしい人生につながる一歩になるのだと思います。
第四章 揺れながら歩いていくということ
納得解を選ぶ人生にも、迷いはあります。
一度決めたことを後悔する日もあるでしょう。
途中で方向を変えたくなる日もあるでしょう。
昨日まで正しいと思っていたことが、今日には違って見えることもあります。
でも、それは決して弱さではありません。
人は経験を重ねるたびに少しずつ変わっていきます。
大切にしたいものも変わります。
価値観も変わります。
だから、考えが変わることは自然なことです。
人生は完成された物語ではありません。
その日その日の出来事を書き足しながら、少しずつ形になっていく一冊の日記のようなものです。
途中で書き直すページがあってもいい。
立ち止まる日があってもいい。
遠回りしたように感じる日があってもいい。
それらすべてが、自分だけの物語になります。
だから、揺れることを恐れなくてもいいのです。
迷ったら、自分の心に問いかけてみてください。
「今の自分は、この選択に納得できるだろうか。」
その問いを持ち続けることが、正解のない時代を歩く私たちにとって、一番頼りになる道しるべなのだと思います。
他人の人生と自分の人生を比べる必要はありません。
誰かにとっての幸せが、自分にとっての幸せとは限らないからです。
比べるなら、昨日の自分と今日の自分。
ほんの少しでも、自分らしい選択ができたなら、それは十分に意味のある一歩なのだと思います。
〆の言葉
人生に、あらかじめ用意された正解はありません。
だからこそ、自分自身の手で答えをつくっていくことができます。
もちろん、その道の途中では迷うこともあるでしょう。
不安になる日もあるでしょう。
それでも、そのたびに考え、悩み、自分なりに答えを選び続けることには、大きな意味があります。
もし、これから人生の大きな選択に迷う日が来たら、一度だけ思い出してみてください。
「これは正解なのだろうか。」
ではなく、
「今の自分は、この選択に納得できるだろうか。」
その問いに、自分の心が静かにうなずけるなら、その選択はきっと、あなたにとってかけがえのない一歩になります。
人生は、誰かの模範解答を書き写すものではありません。
悩みながらも自分で選び、歩んでいく道。
その歩みこそが、誰にも真似できない『あなただけの正解』になっていくのだと思います。
以上、ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。


