みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。

スマートフォンのブックマークフォルダに、「あとで読む」というフォルダを作ったのはいつのことだったでしょうか。
正確には覚えていませんが、あの頃「情報の洪水に溺れないための自己管理術」みたいな記事を読んで、感化された私が意気揚々と作ったのだと思います。その記事自体も、今頃どこかの「あとで読む」フォルダに眠っているかもしれません。
現在、そのフォルダには437件の記事が保存されています。数字にすると、なかなかの迫力です。仮に1本あたり5分で読めるとして計算すると、約36時間分。
ぶっ通しで読めば1日半かかります。もちろん、そんな気合いの入った読み方はしませんし、する気もさらさらありません。
では何をするかというと――威風堂々と、438件目を保存します。「あとで読む」という言葉には、不思議な魔力があります。
「今は読まない」と「いつか読む」を同時に叶えてくれる、夢のような表現です。
忙しい朝にSNSで流れてきた長文記事。仕事中にふと目に入った気になるコラム。
あるいは、友人が「これ絶対読んで」と送ってきたリンク――。どれも今すぐ読む時間はないけれど、無視するには惜しいものばかりです。
そんなとき、私たちは迷わず「あとで読む」を選びます。問題は、『あと』がいつまで経っても来ないことです。
電車を待っているとき、昼休みの最後の5分、寝る前のちょっとした時間。
たしかに絶好のチャンスです。
しかし、そんな貴重な隙間時間に私の指先が吸い寄せられるのは、決まってSNSかショート動画です。次々と新しい情報が流れてくるサービスは、人の注意を引き続けるよう設計されています。
そのため、1度保存した記事は新しい刺激に埋もれ、再び開かれる機会を失いがちです。
「あとで読む」フォルダは、言わば情報のタイムカプセル。
開封予定日のないタイムカプセルです。
1度、意を決して古いブックマークを掘り返したことがあります。
するとそこには、すでに解決済みの悩みへのアドバイス、終わったセールの特集記事、存在自体を忘れていた映画の公開前レビューが眠っていました。「公開直前!期待の新作を徹底解説」と銘打たれたその記事の映画は、もう続編が公開されていました。
保存した情報は、時間が経つほど価値を失うものも少なくありません。
情報は集めるだけでは資産にならず、読んで初めて知識になるのだと、改めて思わされます。
それでも保存をやめられないのは、保存という行為そのものに達成感があるからではないでしょうか。タップ1つで「この情報は確保した」という安心感が得られる。
読んでいないのに、なんとなく知識が増えた気がする。
これは現代人が発明した、非常に巧妙な自己欺瞞です。私はこれを「擬似読書」と呼んでいます。読まずに満足してしまう状態です。
本を積み上げて満足する「積ん読」の、デジタル版と言えるかもしれません。思えば、「あとで読む」は人生のあちこちに潜んでいます。
「あとで連絡する」と思ったまま3ヶ月経つ友人への返信。「あとで整理する」と言い続けているデスクトップのスクリーンショット群。
どちらも、未来の自分が今より少し余裕があって、少し真面目で、少しやる気に満ちているはずだという、根拠のない信頼のもとに丸投げした案件です。そしてその未来の自分は、当然のように別の「あとで」を生産しています。
先日、久しぶりにブックマークフォルダを開いた私は、1本の記事のタイトルに目が止まりました。
『なぜ私たちは『あとで』と言い続けるのか――先延ばし癖の心理学』。
ふと保存日時を見て、私は凍りつきました。……なんと、2年前。2年間、先延ばしに関する記事を先延ばしにし続けていたわけです。
これはもはや、ギャグです。でもその瞬間、私の心は『まだ読んでいない楽しみがこんなに残っているなんて!』と、謎の歓喜に包まれていました。でも、少しだけ言い訳をさせてください。
『あとで読む』という行為は、少なくともその瞬間の好奇心の記録になります。
気になった、面白そうだと思った、その感情は本物です。
読まなかったとしても、何かに興味を持てたという事実は消えません。
437件のブックマークは、読まれなかった記事の墓場でもあり、私の好奇心の軌跡でもあります。とはいえ、保存する数より、読んだ数のほうが大切なのも事実です。
せめて週に1本だけでも、「あとで読む」フォルダを開いてみようと思います。
それだけでも、未来の自分へ丸投げする仕事は少し減るかもしれません。
……と、ここまで書いていたら、また1つ気になる記事を見つけました。
今度こそ読もうと思いながら、私は今日も『あとで読む』をタップしてしまうのでした。(……今度こそ、本当に読む予定です!)
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。また次の機会にお会いしましょう。


