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「普通」が一番難しい

趣味・日記
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みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。

第一章 「普通」という、見えない基準

「普通に生きたい」「普通でいいから」

ふとした瞬間、そんな言葉をこぼしたことはありませんか?

私自身も、ふと立ち止まったときにそう願ってしまうことがありますし、周りからそんな言葉を聞くことも少なくありません。

特別な成功を望んでいるわけじゃない。ただ穏やかに、人並みに暮らしたい。
その願いは、痛いほどよくわかります。

でも、いざ「普通って何?」と聞かれると、急に言葉に詰まってしまいませんか。

私たちは人生の多くを、この「誰にもはっきりとは見えない基準」に合わせようと、知らず知らずのうちに必死にもがいて生きている気がします。

年収はいくらが普通なのか。結婚や子育てのタイミングはいつなのか。友人は何人くらいいれば普通なのか。休日の過ごし方、働き方、生き方──どれを取っても、誰もが納得する一つの答えはありません。

それにもかかわらず、私たちはどこかに「普通」という正解が存在するように感じ、その線から外れないよう、無意識のうちに自分を合わせようとしてしまうのです。

もしかすると私たちは、存在するかどうかも分からない基準を追い続けているのかもしれません。

「普通」とは、人によって意味が異なる、とても曖昧な言葉です。だからこそ、その輪郭が見えないまま、私たちは日々その言葉に振り回されているのです。

第二章 なぜ「普通」はこんなにも難しいのか

「普通でいい」

この言葉は一見すると控えめで、欲のない考え方に聞こえます。
しかし実際には、これほど実現が難しいものはありません。

なぜなら、「普通」という感覚は、常に「周囲との比較」によって形づくられるからです。

隣の家庭が幸せそうに見えれば、自分の暮らしが物足りなく感じる。
同世代が着実にキャリアを積んでいるように見えれば、自分だけが取り残されているように思えてくる。
特に私は、働き方について周りと比べてしまい、焦りや息苦しさを感じた時期がありました。

さらに現代はSNSを開けば、見ず知らずの誰かの「充実した毎日」や「成功例」が次々と目に飛び込んできます。

もちろん、他人と比べること自体が悪いわけではありません。自分の立ち位置を確かめたり、新しい目標を見つけたりする道しるべになることもあります。

ただ、その比較が「こうあるべき」という思い込みへ変わった瞬間、「普通」は私たちを縛る恐ろしい鎖に変わります。

誰かが決めた「平均的な姿」や「普通」という基準は、それが自分以外の外側にある限り、時代や環境、人間関係によって少しずつ姿を変え続けます。

やっと追いついたと思った頃には、また新しい「普通」が現れる。

この終わりのない追いかけっこが、私たちの心を静かに、そして確実に疲れさせているのではないでしょうか。

では、その苦しいループから抜け出すには、どうすればいいのでしょうか。

第三章 「普通」は、本当は一人ひとり違うもの

ここで少し視点を変えてみたいと思います。

そもそも私たちが必死に合わせようとしている「普通」とは、本当に誰にとっても同じものなのでしょうか。

おそらく、そうではありません。

私たちが「普通」と呼んでいるものの多くは、単に「多くの人に共通する傾向」を表しているだけであり、決して「正しい生き方」を意味しているわけではないのです。

しかし私たちは、その傾向をいつの間にか「こうあるべき姿」という正解だと受け止め、無理をしてでも自分を当てはめようとしてしまいます。

たとえば、朝型の生活が健康的だと言われても、夜の静けさの中でこそ集中できる人がいます。
私自身も過去に、働き方という「普通」に合わせようとして苦しくなった経験がありますが、人付き合いが活発な社会でも、一人の時間を静かに味わうことで心が満たされる人がいるのです。

そこに、どちらが正しく、どちらが間違っているという優劣はありません。

大切なのは、社会の傾向に自分を合わせることではなく、自分にとって「自然で無理のない生活」とは何かを知ることです。

心地よいと感じる生活のリズム。

自分が心から安心できる、人との距離感。

負担なく続けられる、納得のいく働き方。

それらは誰かが決めてくれるものではなく、自分自身との対話を通して、少しずつ見つけていくものです。

「普通」とは本来、他人と比べて決めるものではなく、自分が無理なく笑って続けられる日常の中にこそ、あるのではないでしょうか。

第四章 「普通」を手放したときに見えてくるもの

「普通でありたい」という願いの奥には、きっと「安心して生きたい」という切実な思いが隠れています。

周りと同じであれば、大きく間違えることはない。そこから外れなければ、誰かに後ろ指を指されることもない。

そう信じているからこそ、私たちは「普通」という枠の中に安心を求めてしまうのです。

しかし、外側の基準に合わせた安心感は、決して長くは続きません。

社会の変化、新しい環境、人との出会い。
そうした波が来るたびに、外側の「普通」は少しずつ、しかし確実に姿を変えていってしまうからです。

だからこそ、私たちが本当に目を向けるべきは、「普通」を追い続けることではなく、自分自身の内側に「基準」を育てることなのかもしれません。

それでは、あなたはどうでしょうか。
自分は、どんな時間を過ごしていると心が満たされるのか。

どんな人と一緒にいると、肩の力を抜いて安心できるのか。

これから先、何を大切にして暮らしていきたいのか。

ちなみに今の私にとっては、かなうラボで自分のペースで作業を進められた日が、一番心穏やかで「ちょうどいい」と感じる時間です。

こうした問いを一つひとつ自分に投げかけていくことで、他人と比べる必要のない、自分だけの「ちょうどいい」輪郭が少しずつ見えてきます。

それは誰かから見れば「普通」に見えるかもしれませんし、もしかすると「少し変わっている」と映るかもしれません。

けれど、それでいいのです。

自分が心から納得して選んだ毎日は、もはや誰かのモノサシで測れるものではありません。

外側の「普通」を追いかけるのをやめ、自分の内側にそっと基準を置いたとき。私たちは初めて、「普通」という見えない重荷から、本当の意味で自由になれるのではないでしょうか。

おしまいに

私たちは、ときどき「みんながそうしているから」「それが普通だから」という理由だけで、自分の選択を決めてしまいそうになります。

けれど、その「普通」は、あなた自身が心から望んだものなのでしょうか。

今日一日だけでも構いません。「お昼ご飯に何を食べようか」「どの服を着ようか」そんな日常の小さなことでもいいので、自分がそれを選んだ理由を振り返ってみてください。

もしそこに、誰かの目線ではなく「私がそうしたかったから」という気持ちがあったなら。
その選択こそが、あなたにとっての本当の「普通」なのだと思います。

見えない誰かの基準に、もう無理をして合わせ続ける必要はありません。
私自身も、まずは自分のための時間を有効活用することから始めてみようと思います。
自分が納得できる毎日を、ひとつずつ丁寧に積み重ねていくこと。

誰かと同じであることではなく、自分が心からくつろげる。
その先にある穏やかな安心感こそが、私たちが本当に求めていた「普通」の姿なのだと思います。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この記事が、あなただけの「ちょうどいい普通」を見つける、小さなきっかけになれば嬉しいです。
あなたの明日が、今日よりも少しだけホッとできる一日になりますように。

それでは、またの機会にお会いしましょう。