はじめに ― なぜ私たちは比較をやめられないのか
みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
「人と比べるのはやめよう」と頭ではわかっているのに、気づけばまたSNSで誰かの投稿を見て落ち込んだり、同僚の評価を気にしたり、友人の結婚や昇進の話を聞いて複雑な気持ちになったりする。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

昔から人は他人と自分を比べながら生きてきました。しかし今は、一日に何百人、何千人もの人生の一場面を目にする時代です。比較する相手の数はかつてないほど増え、私たちは知らず知らずのうちに、自分とはまったく異なる環境や条件にいる人たちとも、自分を比べるようになりました。
比較をやめようと決意しても、次の瞬間にはまた誰かと自分を照らし合わせている。そんな自分に嫌気がさし、どうして自分はこんなに心が狭いんだろう」「どうして他人の幸せを喜べないんだろう」と、自分の感情を責めてしまう方も少なくありません。でも、そうやって自分を責めてしまうのは、あなたが優しいからこそ。実は、比較してしまうこと自体は自然な心の働きなのです。でも、そうやって自分を責めてしまうのは、あなたが優しいからこそ。実は、比較してしまうこと自体は自然な心の働きなのです。
けれども、比較してしまうこと自体は、決して弱さの証拠ではありません。
私自身、かなうラボを利用して過ごす日々の中で、周りの人たちがそれぞれに悩み、一歩ずつ進む姿を見てきました。「みんな同じように迷いながら進んでいるんだな」と気づけたとき、焦る心が少しずつほぐれていったのを覚えています。
比較とは、人間という生き物に深く組み込まれた、ごく自然な心の働きなのです。
このコラムでは、なぜ私たちが比較をやめられないのか、その仕組みを知ったうえで、比較とどう付き合っていけばよいのかを、一緒に考えていきたいと思います。
第一章 「比べてしまう私」は弱くない。比較が本能である理由
難しい言葉かもしれませんが、心理学には「社会的比較」という考え方があります。要するに、私たちは自分一人では安心できなくて、周りの様子を見て「自分は今どこにいるんだろう」と確かめたくなる生き物なのだそうです。
つまり比較とは、自分を苦しめるために備わったものではありません。本来は、自分の現状を知り、周囲とうまく関わりながら生きていくための大切な心の働きなのです。
人類は長い歴史の中で集団生活を送り、自分の役割や立場を把握しながら生き延びてきました。誰が頼りになるのか、自分には何ができるのか。そうした比較は、生きるために必要な情報でもありました。
現代でも、この心の働きは変わっていません。
ただし、大きく変わったものがあります。それは私たちを取り巻く情報環境です。
SNSを開けば、友人の海外旅行、同僚の昇進、同世代の起業、理想的な家庭生活など、多くの「うまくいっている瞬間」が次々と流れてきます。以前なら比べる相手は身近な人たちだけでした。しかし今は、世界中の優秀な人や成功している人たちが、常に視界に入ってきます。
私たちが比較しやすくなったのは、心が弱くなったからではありません。それだけ比較を引き起こしやすい環境の中で暮らしているからなのです。
だからこそ、「また比べてしまった」と自分を責める必要はありません。それは意志の弱さではなく、人間が本来持っている自然な反応なのです。
第二章 比較が苦しみに変わるとき ― 違いを生むもの
同じように人と比べていても、前向きな力に変えられる人がいる一方で、深く傷ついてしまう人もいます。その違いは、能力や性格ではありません。
違いを生むのは、比較したあとに、自分へどんな意味づけをしているかです。
誰かの成功を見て、「自分もあんなふうになりたい」と思えれば、それは自分を高める目標になります。一方で、「自分には無理だ」「どうせ才能がない」と結論づけてしまえば、比較は自己否定へと変わってしまいます。
苦しい比較には、大きく分けて二つの共通点があります。
一つ目は、相手の「見えている部分」と、自分の「人生全体」を比べてしまうことです。
SNSに映るのは、その人の人生のほんの一場面にすぎません。けれど私たちは、その一瞬の輝きと、自分の日常や悩み、不安まですべて含めた人生を、同じ土俵で比べてしまいます。
二つ目は、自分の成長ではなく、他人との順位だけで価値を測ってしまうことです。
昨日の自分より少し前へ進めたかではなく、「あの人より上か下か」だけを基準にすると、いくら努力を重ねても心は満たされません。どれだけ前へ進んでも、その先にはさらに優れた誰かが存在するからです。
比較そのものを完全になくすことは難しいかもしれません。
けれど、比較したあとに自分へどんな言葉をかけるのか。それは、これからの意識次第で少しずつ変えていくことができます。
第三章 じゃあ、どうすればいい? ― 比較を「消す」のではなく「整える」ための2つのステップ
比較を完全になくそうとすると、「比較してはいけない」という新しい苦しみが生まれてしまいます。
だからこそ目指したいのは、比較をゼロにすることではなく、比較との距離感をうまく整えていくことです。
まず試していただきたいのは、比較した瞬間に「今、自分は何と何を比べているのだろう」と一度立ち止まってみることです。
私自身も、かなうラボでの活動中などにふと焦ってしまうことがありますが、そんな時は一度深呼吸して「自分はどうありたいのかな」と問い直すようにしています。
「あの人のスムーズな作業ペース」と「今の自分の進み具合」、あるいは「誰かの充実した休日」と「自分の日常」。
そんな風に、自分が何と何を比べて焦っているのかを言葉にして客観視してみるだけで、感情に飲み込まれる前に一歩引いて状況を眺められるようになります。
もう一つ大切なのは、比較の対象を他人から「過去の自分」へ少しずつ移していくことです。
半年前の自分と比べて、少しでも前へ進めたことはなかったでしょうか。
- 周りと比べて焦る日もあるけれど、今日は自分の作業をちゃんと終わらせてホッとできた
- 新しいことへ一歩挑戦できた
- 落ち込んで引きずる時間が少し短くなった
そうした小さな変化は、他人との比較では決して見つけられない、あなただけの確かな成長です。
そして何より大切なのは、比較してしまった自分を責めすぎないことです。
「また比べてしまった」と思ったときは、「それだけ自分にも大切にしたいものがあるんだな」と受け止めてみてください。
比較の裏側には、多くの場合、「自分もこうありたい」という前向きな願いや価値観が隠れています。
比較は、あなたを苦しめるだけのものではありません。自分が本当に大切にしたいものを教えてくれる、大切な心のサインでもあるのです。
第四章 「比べる自分」も大切な私。今日から始める、自分に優しい生き方
比較してしまう自分を消そうとするのではなく、比較しながらも自分らしく歩いていくこと。
それこそが、現実的で、そして自分に優しい生き方なのではないでしょうか。
誰かと自分を比べてしまう夜があってもいい。
落ち込む日があっても構いません。
ただ、その感情に飲み込まれそうになったときは、「これは人間なら誰もが持つ自然な心の動きなんだ」と、そっと思い出してみてください。
比較は、あなたを苦しめるためだけの存在ではありません。
見方を少し変えてみれば、自分が本当に大切にしたいものや、これから向かいたい方向を教えてくれる大切なサインでもあります。
必要なのは、比較を完全になくすことではなく、比較に振り回されすぎない距離感を見つけていくことです。
その距離感は、一度身につけば終わりというものではありません。人生の変化とともに揺れ動き、そのたびに少しずつ整え直していくものです。
比べてしまう自分を、どうか責めすぎないでください。
心が動くのは、あなたの中に大切にしたい未来や、かなえたい願いがしっかりとあるからです。
比較してしまう自分も、自分らしく前に進もうとする自分も、どちらも大切なあなた自身です。
その両方をそっと受け入れながら歩んでいくことが、自分らしく生きることにつながっていくのだと思います。今夜SNSを開いて少し心がチクリとしたら、スマートフォンをそっと置いて、温かいお茶でも飲みながら今日の自分の頑張りを労ってあげてくださいね。
以上、ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。


