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働くのが怖いと思うのは、甘えじゃない

趣味・日記
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皆さんこんにちは。就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者の^^ackey^^です♪

今回は『働くのが怖い、でもそれは甘えじゃない』をテーマに、心の壁を乗り越えるための体験談をお伝えします。
『会社に行くのが怖い』『周りの目が気になる』と感じる方に、少しでも勇気を届けられたら嬉しいです。

誰でもいえますが、
「他人は何を考えているのか分からないから怖い」
と感じるとき、ありませんか?

そして心を病むと、集中力がガタンと落ちることがあります。
新聞や本を読んでも頭に入ってこない。
「そんな自分に仕事ができるのか?」
と仕事自体を恐れる気持ちもわかりますよね。

私たち夫婦はそのような壁をどのように破ってきたか、
以下にお話しさせていただきますね^^

では本題に入りましょう。

怖いのは、決して甘えじゃない。過去がその気持ちにさせるんだ!

【過去を乗り越える力はどこから生まれる?】—主人の体験から学ぶ

主人と私の場合

主人と私の場合、ということで体験談をさせていただきます。

主人はある企業に20年弱勤務してパワハラにあいました。
主人は、上司からの理不尽な指示や人間関係のストレスで、仕事に行くのが怖い日々が続きました。朝になると体が動かず、心臓がドキドキすることもありました。

その企業はパワハラが横行しているあまり環境がよろしくない企業でした。
加えて主人はそれまで特性があることを会社にオープンにせず、一般枠、正社員として働いてきました(もちろん、私と結婚するまで自分の特性に気付いていなかったので、仕方ないのですが)。

主人は上司からの重責に耐えられず、休職することになります。

それから主人は自分の症状に合った先生、病院を探し歩き、最終的に今の主治医に辿り着きます。
それまでに知能検査をしてもらい、ASDであることが判明したり、処方を何度も変更してもらうなど、紆余曲折ありました。
結局主人に合った治療薬がなく、薬で治すよりも主治医とのカウンセリングで心のケアをしていく方向でまとまりました。

さて企業側はと申しますと、主人のようにメンタルを病んでしまう社員が続出して福利厚生はとても手厚い制度を設けていました。
企業の専属病院があったり、復職への後押しをしてくれたり、休職中は手厚い手当があったり。
それらすべてのサービスを受け、2回ほど復職を試みたのですが、1年ほどで舞い戻ってしまいます。
休職期間満了になるまで主人は在籍して退職しました。
完全なるニートとなった主人は、資格を取る!
と勉強を始めます。
しかし私は、この資格の先には結構厄介な人間関係が待っていることを知っていました。

その資格とは税理士の資格だったんです。
経理に就いている方々は結構シビアで、いつもカリカリ、ピリピリしているイメージがあったんです。
なぜそのような人が多いところに主人は入っていこうとしたのか?
というと数字を扱う仕事が得意だったから、なんです。

仕事自体が自分に合っていても、働いている人たちのカラーを見失っていたので、私は正直そちらへは行って欲しくなかったです。

主人はあるB型事業所で経理の仕事のお手伝いをさせていただいていましたが、人が合わなくて衝突していました。
上司とうまくかみ合わず、仕事をもらえなくなってしまったのです。

現在のかなうラボでは、主人の特性でもある
「頭に血が昇りやすい性格」
をうまくなだめながら、支援員さんに助けてもらう時はお力を借りて対応しています。

こんなに苦労してもどうして主人は果敢にチャレンジするのか?
というと、
「社会人として、一家の大黒柱としての責任を果たすんだ!」
というマインドが強くあるからです。

今までゆっくりさせてもらって、お金も尽きてきたから僕が頑張る!
と思ってくれているようです。

そんな主人にばかり働かせるのも申し訳ないので、私も在宅勤務始めるか♪
と夫婦で同じ事業所、かなうラボのお世話になって1年以上が経ちました。

今まで読んでくださった方はお分かりかと思いますが、
1回心を病むと、再び立ち上がるのにこんなに時間がかかるんです。
そして主人のような特性を持っている人には、周りがいくら『働いてみたら?』
と促しても、本人が思い立たないと実行できないんです。

結局、怖いのは、決して甘えじゃない。過去がその気持ちにさせるんだ!という主張はご理解いただけたと思います。

過去を乗り越える力はどこから生まれる?
主人の場合は金銭的に底をつかないと這い上がる原動力にはならなかったでしょう。

まとめ

いかがでしたか?
主人のビジネスにおけるメンタルの経緯がご覧頂けましたでしょうか?

主人が病気と闘っている間、私は1人でパートに出たり、専業主婦をしていました。
主人は「1人でいる時間が必要だった。見放さないでくれてありがたかった。」
といいます。
私からいえば
「せっかくここまで回復したのに、手放したら今までの苦労が水の泡になる。私だって一人じゃ生活していけないんだから、これからはゆっくり一緒に歩んでいこう!」
と思えました。

親からも1銭もお金を借りず、やってこれたんです!
これからも夫婦共々、力を合わせてやっていくつもりです。

私たちは今年の2月22日に結婚15周年を迎えます。

恐怖を感じるのは自然なことです。少しずつでも自分のペースで挑戦し、支援を受けながら時間をかけてでも立ち上がることが大切です。

では、この辺で失礼いたします。








^^ackey^^

ある一家の第二子(次女)として誕生。父親の転勤で色々な県を4年1回渡り歩く。高校1年生の頃友達との行き違いが大きなストレスになり、幻聴が聞こえ始める。2年次から大人しいグループに入ることによって、行き違いはなくなる。何とか短大まで進学。短大卒業後は、障害をクローズにして接客のアルバイトを転々とする20代、障害をオープンにして事務職に就く30代、障害が軽くなった40代、在宅勤務をする50代を過ごす。現在は「かなうラボ」でライティングコースに所属して半年余り。大いに活躍する。好きな事は美味しいものを食べることです。