みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
もし今日、すべての「あなたへのおすすめ」が突然消えたら、あなたは次に何を見ますか。

わたしは、少し困ってしまう気がします。
気がついたら、今日も「あなたへのおすすめ」を眺めていました。
動画サイトを開けばずらりと並ぶサムネイル。音楽アプリを起動すれば「あなたが好きそうなプレイリスト」。本のアプリには「この本を読んだ人はこちらも」。ショッピングサイトには「最近チェックしたアイテムに似た商品」。
どこを向いても、誰かが、正確にはアルゴリズムが、わたしの好みを把握していて、次に何を見るべきかを教えてくれます。
便利です。本当に便利です。だからこそ、ちょっと怖くなってきたのです。
▲ 好みが、どんどん「正確」になっていく
おすすめは精度が高いです。見れば見るほど、聴けば聴くほど、アルゴリズムはわたしのことを学習して、「ハズレ」を減らしていきます。
最初のころは「なんでこれが出てくるの?」という的外れなおすすめもありました。でも最近はほとんどない。動画を開けばたいていおもしろい。音楽を流せばだいたい心地いい。本のおすすめも「あ、これ気になってたやつ」ばかりです。
もちろん、これは悪いことではありません。おすすめ機能は、利用者が興味を持ちそうなものを提示し、探す手間を減らしてくれるための仕組みです。同時に、多くのサービスでは利用者に長く使ってもらうことも目的の一つになっています。
一見、理想的な状態のように見えます。でもそれって、わたしの「好き」がどんどん狭くなっていることでもあるんじゃないでしょうか。
以前のわたしは、週末のレンタルビデオ店で、ずらりと並んだプラスチックのケースを指でなぞりながら『ジャケ借り』をしていました。
タイトルがなんとなくかっこいいという理由だけでCDを買い、部屋のプレイヤーに入れて再生ボタンを押す瞬間の、あのなんとも言えないドキドキ感を味わったこともあります。
本屋に行けば、まったく知らない作家の棚の前でふと足が止まり、表紙に巻かれた帯の熱いコピーに引き込まれて、そのままレジへ運んだりしていました。
そういう「ハズレ」が、意外とよかったりしたのです。
「『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観てずんと心が重くなったけれど、この監督の名前は一生忘れないぞ、と思ったり」とか、「このCDはハマらなかったけど、友達に貸したら大好評だった」とか。
失敗したように見えて、どこかに種が蒔かれていた。そういう体験が、じわじわと自分の輪郭をつくっていたように思います。
▲ 「ハズレなし」の世界で失っていくもの
おすすめアルゴリズムは、ハズレを減らしてくれます。でもそれは同時に、予想外の出会いも減らしているのかもしれません。
情報学では、自分の興味や過去の行動に合わせた情報ばかりが表示される現象を「フィルターバブル」と呼ぶ概念があります。ただし、その影響がどれほど私たちの考え方に偏りを与えるかについては、専門家の間でも今なお研究が進められています。
それでも、わたしは少し気になります。
わたしが「好き」と感じるものだけを集めていると、その「好き」はどこから来ているのかを忘れてしまいそうです。もともとはどこかで偶然出会って、「え、こんなの好きだったんだ」と自分でも驚いて、それが積み重なって今の自分があるはずなのに。
おすすめを受け取り続けるだけだと、自分の好みがアルゴリズムに最適化されていくような気がしてきます。わたしがアルゴリズムを育てているのか、アルゴリズムがわたしを育てているのか、だんだんわからなくなってくるのです。
それどころか、「次に何を見たいか」「次に何を聴きたいか」を自分で考える力まで、少しずつ弱くなっているような感覚さえあります。
▲ 選ぶことが、すでに面倒になっている
試しに、おすすめを見ないでコンテンツを探してみました。
……難しかったです。
何を検索すればいいかわからない。どこから手をつければいいかわからない。気づけば「とりあえずおすすめに戻ろう」としている自分がいました。だって、どうしてもおすすめに頼ってしまいますよね。そのほうが圧倒的に楽で、快適ですから。
これは、いわば「選択の筋肉」が少し衰えているということなのかもしれません。
「選ぶ」という行為には、エネルギーが要ります。何が見たいかを考えて、選択肢を探して、決断して、たとえ外れても『これも一つのいい経験だな』と面白がる。その一連の流れを、いつのまにかアルゴリズムに肩代わりしてもらっていたのでしょう。
コンテンツだけの話ではないかもしれません。ご飯を食べるお店も、旅行の行き先も、読む記事も、気がつけば「おすすめ順」や「人気順」から選んでいます。人の評価を、自分の判断の代わりに使っている場面は案外多いのかもしれません。
▲ おすすめと、うまくつきあうために
おすすめをすべて拒否しよう、とは思いません。それはさすがに不便すぎるし、実際にいいものを教えてもらったことも何度もあります。
ただ、ときどき「今日は自分で選ぼう」という日を作ってみることにしました。
本屋では平積みではなく、一番下の棚を眺めてみる。動画は検索だけで探してみる。いつも歩く通勤・通学のルートを、一筋違う道に変えてみる。音楽はランキングではなくラジオや誰かのおすすめを聴いてみる。
そんな小さな寄り道を意識してみるだけで、新しい景色が見えてくるかもしれません。
外れてもいいのです。むしろ外れることで、「わたしはこれは好きじゃなかったんだ」という輪郭がはっきりする。それも立派な自己理解なのだと思います。
人生のすべてをおすすめに預けてしまうと、気づいたときには「自分が何を好きかわからない人」になってしまうかもしれない。それだけは避けたいのです。
おすすめは、とても優秀な案内人です。でも、人生の運転席まで譲る必要はありません。
たまには遠回りをしてみる。目的もなく本棚を眺めてみる。誰にも勧められていないものを選んでみる。
その小さな寄り道の中にこそ、未来の「好き」が隠れているのかもしれません。
だから今日も、おすすめを上手にナビゲートしてもらいながら、自分の手でハンドルを握って選ぶ楽しさを忘れないでいたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回のコラムでお会いしましょう。


