子どもの頃は、誰かが成長を見つけてくれていた
みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
振り返ってみると、子どもの頃は本当によく褒められていたように思います。

テストで良い点を取れば「すごいね」と笑ってもらえた。
絵を描けば「上手だね」と褒められ、お手伝いをすれば「助かったよ、ありがとう」と頭をなでてもらう。
子どもの頃の私たちは、結果そのものよりも、「成長しようとする姿」を温かく見てもらえていたのです。
当時はそれが当たり前のように感じていました。でも、あの何気ない一言こそが、自分の自信や挑戦する勇気を育ててくれていたのだと、大人になった今になって深く感じます。
しかし、大人になって役割が増えるにつれ、その当たり前は少しずつ姿を消してしまいます。
仕事を終えても当たり前。
責任を果たしても当たり前。
誰かのために動いても当たり前。
気づけば、「できること」は評価ではなく前提になっていました。
だから、「最近、誰かに褒められた記憶がない」と感じる人は、案外多いのではないでしょうか。
なぜ大人になると褒められなくなるのか(心理の解明)
大人になると褒められなくなる。
そう考えてしまいがちですが、実は少し違うのかもしれません。
大人は褒めなくなったのではありません。
褒める余裕を失ってしまったのです。
毎日の仕事に追われる上司。
家庭を支える親。
時間に追われる同僚。
みんな、自分のことで精一杯です。
本当は「助かった」「ありがとう」と思っていても、それを言葉にする前に次の仕事が始まってしまう。
私たちは、人を認める気持ちまで失ったわけではありません。
ただ、それを伝える時間や心の余白が少しずつ減ってしまったのです。
だから、褒められないことを、自分の価値の低さと結びつける必要はありません。
言葉が届かなかっただけで、あなたの努力まで消えてしまったわけではないのです。
誰にも見られない努力が持つ『本当の価値』(自己肯定)
一番怖いのは、誰かに褒められないことではありません。
誰にも認められない毎日が続くことで、自分自身まで「何もできていない」と思い込んでしまうことです。
毎朝、重い体を起こして職場に向かうこと。苦手な人にも一呼吸置いて穏やかに返すこと。クタクタになりながら洗面所に立ち、洗濯機を回すこと。
こうした努力には、拍手も賞状もありません。
けれど、あなたがその「当たり前」を積み重ねてくれているからこそ、あなたの周りの日常や大切な人の笑顔が保たれています。
今日、あなたが『当たり前』にこなした出来事を1つだけ思い浮かべてみてください。それは誰かに褒められなくても、確実に誰かの日常を支えた素敵な努力です。
目に見える結果や大きな成果ばかりが評価されがちですが、誰にも気づかれない場所で踏ん張ってきたあなたの時間には、確実に大きな価値があります。
今日からできる、小さな承認の巡らせ方(実践)
だからこそ、大人になった私たちには、一つだけできることがあります。
承認を待つだけではなく、自分から小さく巡らせてみませんか?まずはすれ違いざまの『ありがとうございます』や、メールの語尾に『いつも助かっています』と一言添えるだけでも十分です。
私自身、忙しさに追われているときに同僚からこうした一言をかけられ、肩の荷がふっと軽くなった経験があります。
また逆に、自分から伝えたときに相手の表情がやわらぐ瞬間を何度も見てきました。
ほんの一言でも、人は驚くほど救われるものです。
不思議なことに、人を認める言葉を口にする人の周りには、少しずつ温かい空気が生まれていきます。
もちろん、見返りを期待する必要はありません。
けれど、誰かの一日を少しだけ明るくした言葉は、巡り巡って、自分自身の過ごしやすさや安心感として戻ってくるはずです。
誰かを認める言葉が、巡り巡って自分を救う(結び)
私たちは、大人になるにつれて「褒められること」を卒業したのではありません。
ただ、「褒めてもらえる環境」が少なくなっただけです。
だから、自分を責める必要はありません。
誰にも見えなかった努力。
誰にも知られなかった我慢。
誰にも気づかれなかった挑戦。
それらは決して、小さなものではありません。
そして、もしこの文章を読んでくださったあなたが、今日一人でも誰かに「ありがとう」と伝えられたなら。
あるいは、自分自身に「今日もよく頑張った」と言えたなら。
この世界は昨日より、ほんの少しだけ優しくなっています。
社会は、大きな改革だけで変わるものではありません。
誰かを認める、たった一言の積み重ねからも、静かに変わり始めるのです。
以上、ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。


