第一章 完璧な計画を立てていた学生時代
みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
「五年後はこうなって、十年後にはこれを達成する」
あなたは今、手帳やスマホのメモ帳に、自分の思い描く「完璧な人生計画」を書き込んでいないでしょうか。

中学生の頃には、将来の進路を細かく考えるようになっていました。手帳には五年後、十年後までの目標がびっしり。大学は第一志望に現役合格、就職は誰もが知る大手企業、三十歳までに理想の相手と結婚して、三十五歳でマイホームを購入する——そんな青写真を、まるで最初から確定している未来であるかのように信じ込んでいました。
友人たちが「将来のことなんて、まだわからないよね」と笑う中、私はどこか誇らしげに「私はちゃんと決めてるから」と答えていたのを覚えています。
でも今思えば、それは自分への自信などではありませんでした。見えない未来への不安を「計画」という形に無理やり押し込めて、ただ安心しようとしていただけだったのです。
第二章 最初のつまずき、高校受験の失敗
そんな私に、最初の試練が訪れたのは高校受験でした。
模試では常にA判定を取り続けていた第一志望校に、まさかの不合格。合格発表の掲示板の前で、自分の受験番号がないことを何度も何度も確認しては、頭の中が真っ白になったことを今でも覚えています。
「思い描いていた未来に進むはずだった人生」に、初めて大きなひびが入った瞬間でした。
結局、滑り止めとして受けていた高校に進学することになり、入学してしばらくは劣等感でいっぱいでした。
周りの視線ばかりが気になり、SNSで同級生の華やかな合格報告を見るたびに、心がざわつく日々が続きました。
すぐには受け入れられませんでしたが、新しい友人と過ごす日々の中で、少しずつ心境の変化が訪れました。
その「不本意な」学校で出会った先生や友人たちが、その後の私の人生に大きな影響を与えてくれたのです。
あの頃は人生最大の「失敗」としか思えなかった出来事が、結果として、計画通りにいけば絶対に交わることのなかった新しい出会いにつながっていました。
第三章 就職活動でも崩れた計画
高校卒業後の進路についても、私には明確な理想の道筋がありました。
「地元の大手メーカーに就職し、安定した生活を送る」
それが、当時思い描いていた揺るぎない未来でした。
しかし、就職活動はまたしても思うように進みませんでした。何十社と選考を受けても、一向に内定がもらえません。友達が次々と就職先を決めていく中、自分だけが社会から取り残されているような強い焦りと孤独を感じていました。
夜になると、「自分には何が足りないのだろう」「計画のどこで間違えたのだろう」と自問自答を繰り返し、眠れない日々を過ごしたことも一度や二度ではありません。
そんな苦しい日々の末に、最終的に内定をいただいたのは、当初はまったく視野に入れていなかった、あまり期待せずに応募した会社でした。
「大手での安定」を疑わなかった就職活動を始めた頃の自分が、この会社を選んだ未来を知ったら、きっと驚いたことでしょう。
それくらい、私にとっては完全に想定外の結果だったのです。
第四章 想定外の場所で見つけた、本当のやりがい
ところが、実際に入社してみると、自分のアイデアや意見がそのまま仕事の形になっていく面白さがありました。
若手のうちからさまざまな業務に携わることができ、責任ある仕事を任される機会にも恵まれました。大きな組織であれば何年もかけてようやくたどり着くような仕事を、比較的早い段階で経験させてもらえたのです。
もちろん、失敗も数えきれないほどしました。
それでも、そのたびに先輩や上司が親身になって相談に乗ってくれました。できなかったことが少しずつできるようになり、自分の仕事が目の前の誰かの役に立っていると肌で感じられる瞬間が増えていきました。
「描いていた将来像にならなかったからこそ出会えた場所」で、私は生まれて初めて、仕事の面白さや、人と一緒に働くことの本当の喜びを実感するようになったのです。
もし、あの時大手企業に就職できていたら。
きっと、今とはまったく違う人生を歩んでいたでしょう。
それが今より良い人生だったのか、そうではなかったのか。それは誰にもわかりません。
ただ一つ確かなのは、人生の計画が崩れたからこそ、見ることのできた素晴らしい景色があったということです。
第五章 結婚も、思い描いていた形とは違った
プライベートでも、思い通りにいかないことばかりでした。
三十歳までに結婚するという目標を立てていた私が、実際には出会いはあれど結婚なんてできませんでした。
しかも、相手は若い頃に思い描いていた「理想の条件」を満たす人ではありませんでした。
若い頃の私が見たら「条件と全然違うじゃない!」と驚くようなお相手でした。
それでも、その人と一緒にいると心から安心できたのです。
沈黙が苦にならならず、無理に自分を飾る必要もありません。何かを証明しようとする必要もなく、ただ自然体の自分でいられる。
若い頃の私は、結婚相手を表面的な「条件」ばかりで考えていました。けれど、実際に大切だったのは条件の数ではなく、「一緒にいるときの自分がどういられるか」だったのです。
もし、あのまま「理想の計画」にこだわり続けていたら、きっと出会えなかった人でしょう。
計画を手放したことで初めて、自分が本当に大切にしたかったものが見えてきたのだと思います。
第六章 計画通りにいかないことこそが、人生
今、30代後半になった私は、若い頃に立てていた計画のほとんどが、そのままの形では実現しなかったことを知っています。学校も、就職も、結婚も、当初思い描いていたものとは違いました。
それでも、不思議と後悔はありません。
もちろん、すべての失敗が良い結果につながるわけではありません。「あの時こうしていればよかった」と思うこともありますし、今でも、思い通りにならなかった出来事を悔しく感じることはあります。
それでも振り返ってみると、計画が崩れた場所には、そのときには想像もしていなかった出会いや経験がありました。
人生は、地図を片手に目的地を目指す旅というより、霧の中を手探りで進んでいくものなのかもしれません。
時には道を間違えたと思うこともあるでしょう。
予定していたルートから、大きく外れてしまうこともあるでしょう。
けれど、そこで立ち止まったからこそ見える景色もあります。
もし今、あなたが「思い描いていた人生と違う」と感じているのなら、すぐにそれを失敗だと決めつけなくてもいいのではないでしょうか。
「計画から外れたこと」と「人生を間違えたこと」は、同じではありません。
予定していた道を歩けなくなったとしても、その先に別の道が続いていることはあります。大切なのは、最初に立てた計画を最後まで守り抜くことではなく、目の前の状況を受け止めながら、そのときどきで自分なりの選択をしていくことなのだと思います。
おしまいに
今日という日も、明日という日も、私たちの計画通りにはいかないでしょう。それでも、すべてを思い通りにできないからこそ、人生には予想もしなかった出会いや出来事が入り込む余地があります。
あの頃の私は、人生には正しいルートがあると思っていました。けれど今は、少し違います。正しいルートを最初から知っている人なんて、きっといません。
迷ったり、立ち止まったり、ときには予定していた道から外れたりしながら、自分が歩いてきた道を、あとから振り返っていく。
完璧な計画通りではなくても、こうして今を歩んでいる自分を、少しだけ愛おしく思える日がきっと来ます。
人生は、計画通りに進まない。
だからこそ、人生なのだと思います。
以上、ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。


