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【世代別】私の歩んできた職歴~クローズからオープンへ~

趣味・日記
この記事は約15分で読めます。

皆さんこんにちは。就労継続支援B型事業所利用者の^^ackey^^です♪
今回も中身がぎゅっと詰まったコラムを書こうと頑張っています!
ネタ探しをしていたら、職員さんにヒントをもらったんです。
前々から取り組んでみたかった、私の職歴のご紹介、是非今回させて頂きますね。

最近障がいを「オープン」「クローズ」という言葉はあまり使用しなくなりましたが、
私の世代ではよく使用していたので、使わせていただきました。
もしこの表記でなにか不快な思いをされた方は、先に謝っておきます。
「不快な思いをされたら申し訳ありません。」

世代のギャップだと思って軽く受け流して頂ければ非常に嬉しいです。

ちなみに現在はどう表記するんでしょうか?
「公開する」「非公開にする」と言うのでしょうか?

時代と共に表記の違いも出てきますよね。
半世紀の人生の経験値を積んでる分、私の職歴を読むことで何か気づきがあるかもしれません。

では始めましょうか。

①書こうと思ったきっかけ

・ネタ探しをしようかな?そしたら降ってきた!

かなうラボのライティングコースでコラムを書いている時、特にネタ探しをしている時は、
「何を書こうかなぁ。」と悶々とするのですが、
そんな時職員さんがヒントをくれて、
「こんなことを書いたら面白そうですよ♪」
と声をかけてくれます。
今回は「ビジネススキル」について書いてみてはいかがでしょうか?
とお声をかけて頂いたのですが、私が勘違いし、
職歴の台本を作ってしまったのです!
これだからおばちゃんは困ります⤵

それでも職員さんは温かく見守ってくれ、
「それもいいですね。書いてみましょう♪そのあとにビジネススキルについてフォーカスをあてて、再度書いてみるのはいかがでしょうか?」と両者の案を尊重してくださるんです(涙)
なんてお優しいんでしょう!
これで、書くネタが2倍、3倍になりました。

・年代別に私の職歴をご披露するのはどうだろう?と考える

という訳で今回は私が勘違いした「職歴」について皆さんに知ってもらおうと決めました。
文章は「起承転結」が大切!と言われますが、
今回は年代別に私の「職歴」や「取得資格」についてご披露してみよう!
と勘違い中に台本を作成しながら考えました(笑)

今はおばちゃんですが、30代、40代のころはスカウトされることも結構あったんですよ♪
最後にスペシャルサンクスで載せようと思いますが、本当にありがたいことです!
「資格取得」に関しては、「ビジネススキル」の回に載せてもいいのかな?
とも考えますが、折々触れていくかもしれません。
今回はさわりだけで、「ビジネススキル」の回に詳しくお話しすると思いますので、乞うご期待!

②20代の私の職歴~クローズ時代~

では本題へ入っていきますね。

・正社員で金融機関へ就職

短大卒業後、私は正社員で地元の金融機関(信用組合)へ就職します。
1か月間は「研修期間」として、紙幣の数え方やそろばん(今時古いですね)、暗算の練習、ビジネス的な数字の書き方などなど様々な事を新入社員で集まり習いました。
この1か月は仲間も増え、楽しく研修を受講していていました。体調も良かったです。
仕事内容は慣れない特殊な機械(オートキャッシャー)を使った印字や、窓口業務、PM3時以降は締めの業務などなど多岐にわたりました。
仕事がとても忙しく、締めが合わずに帰りが夜の10時過ぎになることもありました。
4月1日に正式に入組して、GW明けから仕事へ行けなくなりました。
過度の空気の緊張感、人間関係の難しさ、慣れない長時間勤務で持病が再発し、体調が悪化したためでした。
上司が心配して実家へ様子を見に来てくれましたが、私は辛くて退職する意向を固めていました。


その後療養のため、両親のもとへと帰ることになります。

・両親のもとで療養の4年間

この期間はほとんど記憶がないくらい毎日家でニートをしていました。
体調はかなり悪く、ひとりで留守番するのも辛かったですし、かといって出かけても症状が出て辛いですし、
世界がとても制限されていた感じでした。
テレビもなぜかEテレしか観れず、普通の民間の番組は1時間が限度でした。
それでも働く母を支えようとお昼ご飯を作ったりしました。
慣れてくると母も「お昼ご飯作って。」と頼んでくるようになりました。
そして母と出かけた時「そろそろアルバイトでもしてみる?」
と母に声をかけられたのです。

・母の助言で始めるアルバイト生活

その後私は近所のビデオレンタル店の「早朝バイト」の張り紙を見つけます。
AM6時~AM10時の4時間勤務。とりあえず履歴書を作成して面接へ向かいました。
私が履歴書を持って行ったときに働いていたスタッフで、店長に
「あの人採って。一緒に働きたい!」
と推してくれた子がいたらしく、私は採用されました。
業務としては、返却されたビデオのバーコードを読み取り、元の箱に返す、
といった作業でした。
早朝は確かに起きるのは辛かったですが、近所だった事、スタッフが守ってくれたこと(アダルトコーナーは入らなくていいから、など)から1年間続きました。
その後、親の転勤が決まり敢え無く辞めることに。
最後は送別会まで開いてくれました。

転勤先で私はメガネの販売業のアルバイトを経験しました(PM2時~PM6時)。
仕事内容はコンタクトレンズの販売、フレーム提案、競合調査などでした。
ここで一番功績を残せたのが5万円のブランドフレームを販売したことです。
他には、「またあなたにお願いするわ。」とお客様に言われたこともありました。
先輩がとてもいい方で、やっぱり私を守ってくれました。
一緒にご飯を食べにも行きました♪
ここも約1年勤務してから、短期の官公庁のアルバイトに転職しました。
転職先では、確定申告の年度更新の検算をひたすらする部署でした。
検算の作業はアルバイトのみが集まってする部屋があって、
唯一独身だった私はまたみんなから可愛がられました。
短期だったので2ヶ月で終わってしまいましたが楽しかったです。

ここまでが障がいを「クローズ」にして働いてきた経歴です。

私が20代だった1990年代は、「正社員だからいい」「アルバイトはダメだ」なんて価値観が当たり前のようにありました。
でも、今の令和ではそんな考え方はもうナンセンスですよね。 どんな働き方でも、ちゃんと生活できていればそれでいいと思います。
むしろ、自分らしく、無理なく過ごしていけることの方が大事になってきています。
アルバイトでも老後に備えて保険に入れる時代ですし(もちろん私も入っています^^)、 今思えば、もっと健康を大事にして働けば良かったなと思いますね。
皆さんはどう感じますか?それでは、30代の職歴に続きますよ♪

③30代の私の職歴~クローズからオープンへ~

・デイケアで資格取得の日々

そして私は親の定年と同時に地元へ戻ります。
心の病院ですが、父親が実家から少し離れた中堅の病院を探してくれ、
そこにお世話になることになります(現在でもお世話になっています)。
そこはデイケアを行っている病院で、私は興味を持ちました。
デイケアでは、罹患してから初めて障害基礎年金という国の保証があることや、手帳を習得する事によって様々な保証が受けられることを教えてくれて、
それだけでも「デイケアに入って良かった。」

と思えるのですが、デイケア内で勉強していいような制度になっており、
私は、社会復帰に向けて、まず資格を取ろう!
と頑張ります。
得意な漢字から始めて「漢字検定3級・準2級・2級」
と6か月ごとにスパンを空けて取得しました。
漢字検定2級を取った時点でデイケアからは卒業しました。

・父の助言で接客→事務へと転向

そろそろ仕事再開か!という所で、父からこんな声がかかります。
「お前も将来を見据えて、接客じゃなくて事務職についてみたらどうだ?」
と。

漢字検定で2級まで取得できた地盤と、実際将来を考えたら事務職に就いてみるのも手だな、
と思った私はそこからPCのスキルを0から磨くことになります。

・独学で技術を取得→P検3級取得まで

まずはキーボードを打つ練習から。
独学で学びました。
新聞の記事を当時ワープロで打つ練習から。
少しできるようになったら、PCを購入して無料のタイピングソフトで練習。
その次は「パソコン検定4級」を取得。
次の3級にはどうしてもエクセルが関わってくるので、4か月だけPCスクールに通って、
無事「パソコン検定3級」も取得。
ここでお話ししておくと、私の時代はMOSがまだ普及していなくて、「パソコン能力開発協会」という所の主催している「パソコン検定(P検)」というものが主流でした。

そして新たに社会へ再出発!
販売業から事務職へ。
「クローズ」から「オープン」へ。

色々な転機がありました。

・事務職に就く(初めての障がいオープンで)

官公庁のアルバイトがとても環境が良かったのを覚えていた私は、
地元でも官公庁の事務職を狙っていました。
そして「クローズ」から「オープン」に変更することを心に決めていた私は、
更に焦点を絞って活動します。
そこでピッタリの条件のパートを見つけたのでした!

早速履歴書を書きあげ、私は面接を受けます。
PCスキルを磨いていたのが買われたのか、即日採用でした!
仕事内容は「一般事務」となっていましたが、
実際は電話応対、書類作成、臨時出張所での切手・はがきの販売、区分などなど様々。
配達員がいっぱい出入りするごちゃごちゃしたところでの事務作業は正直集中できず、あまり成果は上げられませんでした。
私が上司に一番褒められたのは臨時出張所での切手・はがきの販売、でした。
私が行くと売り上げが妙に伸びる、と裏では噂になっており、
辞めるときに、
「販売だけでも残らんか?お前が行くと販売が伸びるんだよ。」
と引き止められました。

・就職難→接客へ戻る(障がいオープンで。販売士3級取得)

2年弱で官公庁の事務職を辞めてからは、なかなか次が決まらず、
大変苦戦しました。
官公庁出身だと、仕事がろくにできない人、と烙印を押されたようにパタッと決まらなくなりました。
病院の担当してくれているソーシャルワーカーさんに何度も
「就職が決まらなくて困っている。」
と相談していたら、
「病院の売店なら空きがありますよ。」
と言ってくれました。
私は「これは乗るしかない。」
とすぐ乗りました。

結果は採用でした。
仕事内容は小売業。
かんたんなコンビニみたいな感じでした。
でもジュースの補充や、お菓子・商品の補充、パンやお弁当の陳列など、
することはいっぱいでした。
私が働くところを見ていた先輩が、
「販売が向いているようだから、販売士の資格を取らないか。」
と声をかけてくれました。
仕事しながら勉強して販売士3級を取得しました。

仕事をしていると私に相談を持ち掛けてくる職員さんや患者さんが出てきて、
「あなた達2人でこの売店は持っているようなものだから。」
と私と資格を勧めてくれた先輩に現・ソーシャルワーカー課長の方から言われました。

障がいを持った人ばかりの売店でしたので、いろいろ個性がぶち当たることもしょっちゅうでした。が!
「私の居場所はここしかないんだ」と思って5年耐えました。
仕事自体も楽しかったんですがね^^

アルバイトでも様々な人間模様や環境がありますね。在宅勤務が選べるかなうラボは、家で仕事をしながら社会とつながれますよ♪何より通勤時間がない!
心が弱っていると、出勤時に家を出るまでや、通勤が辛くないですか?
そのハードルがないんです。それだけでもかなり安心して仕事が出来ます。
おススメですよ^^

④40代の私の職歴~オープン一直線~

・再び事務職に返り咲く(障がいオープンで)

売店を辞めてすぐ、大手メガネ販売店のパート求人を発見します。
「もう一度トライしてみようかな?」
と思ったんです。
私は面接を受け、販売士3級を持っていることから、販売をやるのかと思ったら、店長が、
「事務作業はできますか?」
と言ってきたんです。
「やってもらえると助かるんだよね。」
と言うので、
「はい!やります!」
と答えました。
その後適性検査があり、結果事務職で採用が決まりました!
仕事内容はコンタクトレンズ・メガネの度数をカルテを見て入力、個人情報の管理、その他一般事務、でした。
1日4時間、週5日のシフトでしたが、案外自由が利き1日5時間、週4日の働き方にしてもらいました。
仕事自体は1人でバックヤードですることになり、職員さんがお昼ご飯を食べにくるけれど、無言でもいい、という事になっていました。
ここでもチーフ格のいろいろな方から可愛がられました。
相談に乗ってくれたりしました。
次第に私は仕事のスキルが上がり、1日2時間ぐらいで入力作業が片付いてしまい、後は雑用をする毎日になりました。
そんな時は、チーフ格の方に
「仕事下さい。」
と頼んだり、自ら仕事を探して積極的に行うようになりました。
PCを打つ速さも速くなり、
「それぐらいのペースだったら店長も喜ぶよ♪」
とチーフ格の方から褒められました。

やはり歳には勝てません。
通勤が自転車だったこともあり、体力・気力が持たなくなり辞めました。

・ひとたび主婦業に専念

そして私は45歳になり、
「もう次の就職はないだろう。」
としばらく家で専業主婦をしていました。

ありがたいことに主人の退職金があったので、2人でそれを削りながら生活していたんです。
そろそろ底が見えてきたかなぁ。
という頃、やっと主人が立ち上がってくれたんです!

・立ち上がる主人と共に私も再度社会へ

主人が退職してから休暇も含めると10年経っていました。
休暇の間は給料が発生していたんです。(ほぼ10割!)
ストップして5年。主人は次の道へ、と税理士の資格の勉強を始めます。
が!コロナ禍で県外に出て試験を受験するのが非常に難しい時代に入ります。
記憶に新しいですが、近所のスーパーにも行き辛い毎日でしたよね?
「在宅でできる経理の仕事はないか?」
と主人なりに頑張って探します。がなかなかない。
主人も商業簿記2級を取得するほど優秀なのに、決まらない。

そこでご意見番!私の父が現れます。
「これからはITが伸びる時代だよ。在宅でできるITの仕事はないかね?」
と言われたんです。

主人は探す、探す。
いろんなところへ出向いたりメールを送ったり、エージェントにたくさん応募したり。
それで、ある就労移行支援の事業所を探し当てるんです。

そこは障がいを持っている人の就職をあっせんするいわゆる「就労移行支援」という事業所でした。

私はそこへ入る決意をした主人と共に、在宅勤務を目指して活動することにしました。
そこでB型事業所の存在を知りました。
そこから私はB型事業所を利用する1人となったのです。
初めのB型事業所は賃金が低すぎて生活していけないので変わりました。

そろそろかなうラボの出番かな?とお気づきの方、鋭いですね!
かなうラボでは次に記載があるように工賃面もしっかり頂けますよ^^

⑤50代現在の私の職歴~B型事業所にて~

・再び接客業へ戻ろうと面接→採用→辞退(障がいオープンで)

B型事業所を初めて辞めるとき、
「さて、次はどうしよう?やっぱり接客業かな?」
と思った私は、駅ビルのとあるお菓子屋さんのパート募集の広告を見かけます。
「週2日~1日4時間からかぁ。通うのは大変だけどやってみようかな?」
ちょっと血迷ってしまったんでしょうね、私。
真夏の激熱の中面接に行き、障がい者だという事をオープンにして臨みました。
採用側は
「障がい者の方は初めてなんです。でも見た目全然変わらない。」
と言われ、採用を頂いたんです!
50歳の私に!!
しかし、薬の作用で朝がとても弱い私、真夏・真冬にバスで通うのは絶対辛い。
やめときな。と家族みんなに言われ、残念ながら辞退させていただきました。
後から聞いたら、お昼休みなし、立ちっぱなしの仕事、だったんです。
レジも特殊で覚えるのが大変、とか。

・入所1年が経過。金銭面も安定してきた

そして流れ着いたのがこのかなうラボ。
入所当初はお給料が今の1/3でした。
コツコツ続けて1年が経ちました。工賃も毎月毎月伸びています。
単純に仕事している時間が増えた、といえばそうなんですが、
ありがたいことにPCスキルも伸びてきてるように思います。


・技術面でもレベルアップ!

実は私は4か月前までWebデザインコースにいたんです。
Webデザインコースもとても楽しかったのですが、途中で挫折してしまったんです。
ライティングコースでは、小さい頃から得意だった文章作成に専念でき、
その中でも作品がよりよくなるように職員さんが優しく背中を押してくれる。
4ヵ月ブログを書いているので、文章力もグングン伸びてきています!

・職員さんと仲睦まじく仕事が出来ている

私が一番ビックリしているのが、週に1度の面談や月に1度の面談で、職員の皆さんが、
「コラムみてますよ!」
「文章が分かりやすくて読みやすいです!」
「絵がたくさん出てきて一緒に出掛けているみたいな気分になれます!」
といった感想を皆さんが言ってくれることです。
本当に見ていないと出てこないような感想ばかりです!
会う人、会う人必ず感想を言ってくれるんです!
もう嬉しくて、嬉しくて^^

・毎日が充実♪仕事が生きがい

そんな皆さんの反応が嬉しくてつい頑張りすぎちゃうこともありますが、
仕事でこんなに毎日が充実していた経験は初めてです!
これぞ!仕事が生きがい、という瞬間瞬間を感じ続けています♪

かなうラボでは、金銭面だけでなくメンタル面も充実したフォローがあります。週に1度オンラインでつないで頂き、面談があったり、月に1度実際支援員さんたちとお会いできて直接話をすることができる場がある。
楽しいですよ^^



⑥まとめ

・父の助言を聞いて事務職の技術を磨いておいて良かった

まとめに入りますが、所々で入ってくる「父の助言」ですが、
1度目。30代の頃ですが、
「事務のスキルを磨くこと。」
2度目。主人に言ったことですが
「ITの在宅勤務を狙え。」

両方聞いておいて良かったなぁ。
と本当に今頃思っています。

私の周りにはPCスキルがないから、
といって仕事が出来ない知り合いが複数います。
若い頃なら、
「頑張りなよ!」
と言えますが、50近くなって今更キーボードを打つ練習から、
って言えないですよね。

気の毒ですが、
その子たちにはその子たちのあった仕事を見つけてもらうしかありません。
明らかに門は狭くなりますね。
私は父に30代の頃言われて頑張っておいて良かったなぁ。と心から感じます。

・まとめてみると世代別にしっかり分かれている職歴だった

今回ゆっくりと私の職歴を見直してみると、年代別にしっかりと分かれていて、まとめやすい職歴だったんだなぁ。
と思いました。
20代・クローズ・接客
30代・オープン・事務
40代・オープン・事務
50代・オープン・B型在宅

50代はこれからも続きます。
安定した50代人生を続けたいです。


・振り返ってみると今が一番充実している、と思える

皆さんは今までの人生を振り返って一番充実していた!
と思える時期はありますか?
なければこれから来るのかもしれませんね♪
私も歳相応にいろいろな職歴を辿ってきましたが、今が一番頭を使い充実しているなぁ。
と感じます。

以前お話ししたと思いますが、
私の自論は
「人生50歳からがおもしろい。」
です。
それまでの私は
「ワカゾウが!」と軽んじられていた風に感じます。
今「つまらない。なんか違う。」
と感じている皆さん!
50歳からがおもしろいですよ^^
楽しみにしていてくださいね!

では、一番下に私をスカウトしてくれた方々を記載しておきますね。


かなうラボでは今事業所数がどんどん拡大中です!
いろんなところで皆さんのお越しをお待ちしています^^

🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸私をスカウトしてくれた会社のリスト🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸

・生命保険会社(Z社・30代)
・美容部員(C社・チーフさんから・30代)
・美容部員(同じくC社・違うチーフさんから・40代)
・生命保険会社(M社・40代)
・福祉事業所事務員(お世話になった所長さんから・40代)

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