就労継続支援B型かなうラボ利用者aichiです
今回は「天気の子」についての
記事が気になったのでご紹介します

こんにちは🌧️
新海誠監督の映画『天気の子』を、ちょっと変わった角度から楽しんでみませんか?
その切り口とは⋯
そう、「民俗学」です!
「民俗学って難しそう⋯」と思われた方もご安心を。
今回は民俗学者・畑中章宏さんのお話をもとに、映画に込められた古い神話や伝説、文化的背景について、わかりやすくご紹介していきます♪
|帆高の名前に隠された神話的ルーツ|
物語の主人公・森嶋帆高(もりしまほだか)。
彼は離島から東京にやってきますが、畑中さんはまずこの「帆高」という名前に注目します。
「帆高」と聞いて思い浮かぶのは、長野県の山「穂高岳(ほたかだけ)」。
実はここには「穂高神社」という神社があり、古記事に登場する神様「穂高見命(ほたかみのみこと)」が祀られているんです。
この神様は、かつて九州志賀島にいた「安曇族(あずみぞく)」という海の民の氏神だったと言われています。安曇族は船で各地を移動し、長野県の安曇族にも定住しました。
山に祀られた海の神様⋯ちょっと不思議ですよね。
その影響か、内陸にある穂高神社の「御船祭(みふねまつり)」では、神輿(みこし)がなんと船の形!
帆高が”海からやってきた”のも、こうした神話的イメージからきているかもしれません。
|東京に降り続けた雨と「共水神話」|
もうひとつ物語全体に流れるテーマとして「雨」や「水」の存在があります。帆高と陽菜が出会った東京は、ずっと雨が降り続けている世界。
実は新海監督から読み解くの故郷・長野県には、「共水神話」が多く残されているのだそうです。
たとえば、松本平(まつもとだいら)や佐久平(さくだいら)といった”平(だいら)”のつく地名には、「もともと水で満ちていた土地を人が山を崩して住めるようにした」という神話があるんです。
その共水の中で生き残った男女――これが「双体道祖神(そうたいどうそじん)」という石像の元になったと考えられています。
雨が降り続く世界で生き抜こうとする帆高と陽菜。
ふたりの姿が、神話に登場する”生き残った二人”と重なって見えてくるのです。
|陽菜=天照大神ではない?|
さて、ヒロインの陽菜(ひな)についてはどうでしょう?
空を晴れにする「晴れ女」として力を持つ彼女。
名前に「天」がつくことや太陽を思わせる力「天照大神(あまてらすおおみかみ)」では?
という意見もあるそうですが、畑中さんは「ちょっと違うのでは」と言います。
天照大神は天皇家と関わりの深い神様で、伊勢神宮に祀られている超格上の存在。
陽菜のような市井の少女とはスケールが合わない⋯というわけです。
|陽菜の正体は「てるてる坊主」だった!?|

では、陽菜のモデルは誰なのでしょうか?
実は、物語の中で陽菜が晴れ女を祈るとき、そばにいて「てるてる坊主」が出てきますよね?
この「てるてる坊主」は単なる子どものおまじないなのかと思いきや⋯
ルーツはとても深いんです。
もともと日本には「日乞い(ひごい)」という、晴れを願う儀式がありました。
仏教の影響で、その役割うぃ噌侶が担うようになったため、「坊主」という名前がついたのだとか。
しかし、さらにさかのぼると中国の伝説にたどりつきます。
|中国の「掃晴娘(そうせいじょう)」という少女|
たとえば中国では、「掃晴娘(そうせいじょう)」という少女が登場するお話があります。
ある村では雨が何日も降り、困り果てた人々。
そこに現れた掃晴娘は、空の龍神に「妃になるから、甘えを止めて」と祈り、見事に晴れさせたのです。その後、掃晴娘は天に昇って姿を消してしまいました。
また、北京では「掃晴娘(そうせいじょう)」という切り紙が得意な少女が、同じように雨を晴らして天に召されるという話も伝わっています。
この”雨を晴れに変える少女の伝説”が、やがて紙人形となり、てるてる坊主のルーツになったと考えられているんです。
|陽菜は「掃晴娘」だった!?|
つまり、畑中さんの説では――
陽菜の正体は、中国の「掃晴娘(そうせいじょう)なのでは?
というわけです。
神様ではないけれど、人々の願いに応えて、命を賭して空を晴れに変えた少女。
まさに、映画の中で描かれた陽菜そのものですよね。
|民俗学でアニメを見ると、世界が変わる|
こうしてみると、『天気の子』は、ただのラブストーリではなく、古代からの神話や信仰、伝説の記憶が織り込まれた物語なのかもしれません。
身近な「てるてる坊主」も、ただの迷信ではなく、遥か遠くの国から伝わった祈りの形だったなんて⋯。
そう考えると、なんだか今度雨が続いたときは、てるてる坊主をつるしたくなりますよね。映画をもっと深く楽しみたい方は、民俗学の視点から御覧ください。
参考記事
