みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
今日は、「こだわりの道具」についてお話ししたいと思います。
みなさんの周りにも、道具にこだわる人はいますか?あるいは、ご自身がそうだったりするでしょうか。
ペンひとつ選ぶのに30分かける人。鞄のファスナーの滑らかさを確かめてから購入を決める人。包丁の重さを手首で感じながら、「うん、これだ」と静かにうなずく人。
わたしも、そのひとりです。
最初は「ちょっとこだわりがあるかな」くらいのつもりでした。でも気がつけば、文房具売り場では必ず全色試し書きをし、キッチン用品コーナーでは木べらを3本並べて握り比べ、カフェでは「このマグカップ、持ち手の角度がいいな」と観察しながらコーヒーを飲んでいます。
もうこれは、愛すべき病気です。完全に。
こだわりの道具との出会いは、たいていいつも唐突です。
「別に買うつもりはなかった。」
これが、こだわり人間の決まり文句です。財布も、時間も、心の余裕も、まったく準備ができていない。それでも出会ってしまうのです。
ある日、ふらりと立ち寄った雑貨屋で1本のボールペンに目が止まりました。特別派手なわけでも、有名ブランドでもありません。ただ、手に取った瞬間の重心が、自分の手のひらに驚くほどしっくりきたのです。
試し書きをしてみると、インクが紙の上をするすると走り、思わず「あ」と声が漏れました。
まるで、自分の書き癖を最初から知っていたかのような書き心地。
おかしな話ですが、その瞬間、「このペンに選ばれた」と感じました。
もちろん、その場で購入しました。
帰り道、小さな紙袋をバッグへしまいながら、不思議と誇らしい気持ちになっていました。
新しい道具を買ったというより、新しい相棒ができたような感覚。
こだわり人間の頭の中は、いつも少しだけドラマチックです。
お気に入りの道具を手に入れると、不思議なことが起こります。
そのペンで書けば文章がよくまとまる気がする。その包丁で料理をすれば腕前まで上がったように感じる。そのノートを開けば、新しいアイデアが浮かびやすくなる。
理屈では説明できません。
でも、「そんな気持ちになれる」こと自体が、立派な効能だとわたしは思っています。少し背筋が伸びる。少し丁寧になれる。少し、今日も頑張ってみようかという気になれる。
それを引き出してくれるなら、道具はもう十分すぎる仕事をしています。
プラシーボだとしても、わたしは信じる側でいたいのです。
ただし、こだわりの道具には厄介な副作用があります。
なくしたときの喪失感が、常識の範囲を軽々と飛び越えてしまうことです。頭の中が真っ白になり、冷や汗が流れるようなあの感覚。
愛用のペンをどこかへ置き忘れた日、わたしは30分ほど記憶を巻き戻し、自分の一日をほぼ完全に再生しました。
カフェのテーブル。
会議室の端。
コートのポケット。
見つかった瞬間の安心感は、財布を見つけたときと大差ありません。
周りから見れば少し不思議な光景かもしれませんが、本人は至って真剣です。
さらに、長く使えば使うほど、「これじゃないと駄目だ」という小さな依存も生まれます。
出先でそのペンを忘れると、借りたペンで書く文字がどこか他人行儀に見えてしまう。
頭では、ペンはただの道具だと理解しています。
でも、手はもう覚えてしまっているのです。
もうひとつ、白状しなければならないことがあります。
こだわりの道具は、そろえるだけで満足してしまう、という恐ろしい性質を持っています。
道具が揃うまで始められない。
完璧な環境を求めて手が止まる。
気づけば道具の手入れが一番はかどっている。
まさに本末転倒とはこのことです。
毎回反省しています。頭をかきながら、反省のポーズだけはとても上手になりました。
……それでも、やっぱりやめられないのです。
思わず「あ」と声が漏れました。吸い付くように手のひらに馴染み、まるで自分の書き癖を最初から知っていたかのような書き心地です。
どんな道具を選ぶかは、どんなふうに生きたいかと、どこかでつながっている。
丁寧に選んで、大切に使い続ける。それは、小さいけれど確かな、自分だけの美学なのだと思います。
不治の病ですが、わたしはこの病を気に入っています。完治したいとは、これっぽっちも思っていません。
今日もどこかの文房具屋で、誰かがペンを何本も試し書きしながら「うん、これだ」と静かにうなずいているでしょう。
その人に、こっそり親指を立てたい気持ちです。
みなさんにも、「これだけは譲れない」というお気に入りの道具はありますか。
よかったら、あなただけの美学をこっそり教えてくださいね。
それでは、またの機会にお会いしましょう。
こだわり ~それは人間の性~
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