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「ちょっと待って」と言われて何年でも待てる

趣味・日記
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みなさまごきげんよう。 就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。

「ちょっと待って」という言葉があります。

日常のあちこちに転がっている、ごくありふれたフレーズです。電話口で、LINEの返信で、あるいは廊下ですれ違いざまに。誰もが1度は口にしたことがあり、また誰かから言われたこともあるでしょう。

ところで、この「ちょっと」とは、いったいどれくらいの時間なのでしょうか。私にとっては「30分程度」がちょっとの範囲ですが、辞書を引けば「少しの間」と説明されるでしょう。しかし現実はそう単純ではありません。

「ちょっと待って」と言われてから返事が来るまで、5分のこともあれば3日のこともある。
私の大切な友人は、1時間前に現れたかと思えば、次は1時間遅刻してくるような不思議な時間感覚の持ち主です。
ひどいときには「ちょっと待って」から1週間後、「あ、そういえばあの話なんだけど」と、まるで昨日の続きのように話し始めることすらあります。

それはもう「さっき」ではありません。1週間前です。

それでも、なぜか待ってしまうのです。
不思議な話です。

たとえばコンビニで「少々お待ちください」と言われて10分以上放置されたら、さすがに声をかけるでしょう。宅配便の「午前中お届け予定」が夕方になれば、配送状況を確認したくもなります。
ところが、「ちょっと待って」と言った相手が、大好きな友人や、いつも味方でいてくれる家族のような大切な誰かになると、人は驚くほど気長になります。

私もそのひとりです。

「ちょっと待って。あとで電話するね。」そう言われた短い一言の後、私はスマートフォンを手の届くところへ置き、いつもより少しだけ着信音を大きくしました。
眠ってしまわないように気をつけながら待ちました。

翌朝になっても、電話は来ませんでした。
それでも不思議と腹は立ちませんでした。『きっと昨日は遅くまで忙しかったんだろうな。
ゆっくり休めているといいな』そう思っただけでした。
みなさんはどちらでしょうか。この話をすると、返ってくる反応は大きく二つに分かれます。

「わかる。すごくわかる。」
あるいは、
「いや、それは待ちすぎでしょう。」

前者の人とは、夜更けまでお茶を飲みながら話ができそうな気がします。
思えば、「ちょっと待って」という言葉には不思議な魔法があります。

「待って」ではなく、「ちょっと待って」。
その「ちょっと」が付くだけで、こちらは「すぐ戻るんだろうな」「長くはかからないだろうな」と受け止めてしまいます。
心理学では、人は曖昧な約束であってもその続きを無意識に期待し、完結していない出来事ほど意識に残りやすいと考えられています。これは「ツァイガルニク効果」として知られる現象です。

だから待っている間、人はいろいろなことを考えます。

返事が来たら何を話そう。
今度会ったらどこへ行こう。
あの話の続きはどうなるのだろう。
待つ時間というのは、案外豊かな時間なのかもしれません。

もっとも、その豊かさはいつまでも続くわけではありません。

時間が経つにつれ、「忙しいのかな」が「何か気に障ることを言ったかな」に変わっていきます。
それでも特別な焦りがあるわけでもなく、ただなんとなく、画面が光るのを期待してスマートフォンを手に取っては、ため息混じりに置いてを繰り返すような、そういう夜があります。
それでも待つのをやめられない。
なぜでしょう。

おそらく、「ちょっと待って」と言われた瞬間、小さな約束が生まれているからです。

「あとで話す。」
「また連絡する。」
「すぐ戻る。」

言葉にはされていなくても、その続きを私たちは信じています。

根拠があるわけではありません。
確認したわけでもありません。
それでも信じて待っています。
それは信頼なのか、執着なのか、あるいは心地よい時間のズレを楽しんでいるのか。
答えはきっと、人それぞれでしょう。

ただ、ひとつだけ思うことがあります。
「ちょっと待って」と言える相手がいること自体は、決して悪いことではありません。
本当にどうでもいい相手なら、「待って」とすら言わず、そのまま会話は終わってしまいます。
「ちょっと待って」という言葉には、「あとでちゃんと話したい」という意志が、少なくともその瞬間には込められています。

もちろん、約束は守られたほうがいい。
相手を必要以上に待たせないことも、大切な思いやりです。

だからこそ、「ちょっと待って」という何気ない一言には、自分でも気づかない責任が少しだけ含まれているのかもしれません。
だから私は今日も待ちます。
スマートフォンをそっと置いて、音量を少しだけ上げて。

その「ちょっと」が5分なのか、1週間なのか、それとももっと長いのかはわかりません。
それでも、まあいいかと思っています。
待つことは、それほど嫌いではないので。
「何年でも待てる」と言ってしまうと少し大げさかもしれません。

けれど、それくらいの愛おしい気持ちで誰かを待てる相手がいるのは、とてもしあわせなことなのかもしれません。

以上、共感してもらえるところがあれば幸いです。
またの機会にお会いしましょう。