みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
「大人になったら分かるよ」──子どもの頃、そんな言葉を何度も聞いた記憶があるという方は多いのではないでしょうか。

では、その「大人になった瞬間」とは、いったいいつのことなのでしょう。18歳の誕生日でしょうか。20歳の成人式でしょうか。それとも、初任給を受け取った日でしょうか。
SNSを開けば、同年代の結婚や出産、昇進、マイホーム購入など、人生の節目が次々と目に飛び込んできます。
そのたびに、「自分はまだ大人になれていないのではないか」と落ち込んだ経験がある方も少なくないでしょう。
実は私も、同世代の活躍をSNSで見たときなどに同じように感じて焦ったことがあります。
現代は「大人らしさ」の基準が見えにくい時代ですよね。
だからこそ、「人は何歳から大人になるのか」という問いは、昔以上に私たち自身の問題になっているのかもしれません。
今回は、この誰もが一度は考えたことのある問いについて、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
法律上の「大人」と、実感としての「大人」
日本では2022年4月1日、民法改正により成人年齢が20歳から18歳へ引き下げられました。これにより18歳になると、親の同意なしで契約を結んだり、クレジットカードを申し込んだりすることができるようになりました。一方で、飲酒や喫煙、公営ギャンブルについては、現在も20歳以上という年齢制限が維持されています。
法律は社会生活を送るために明確な線引きを必要とします。しかし、その線を越えた瞬間に、多くの人が「今日から私は大人だ」と実感するわけではありません。
免許を取得した日も、一人暮らしを始めた日も、社会人になった日も、振り返れば「あの日から大人になった」というより、「気づけば大人として扱われるようになっていた」という感覚のほうが近いのではないでしょうか。
つまり、大人になるというのは、一つの出来事で突然変わるものではなく、少しずつ水位が上がるように積み重なっていく変化なのだと思います。
「責任」を引き受けた日
では、多くの人が「大人になった」と実感するのは、どのような瞬間なのでしょうか。
法律上の節目よりも印象深いのは、「責任を引き受けた瞬間」ではないでしょうか。
誰かに任された仕事を最後までやり遂げたとき。
自分の失敗を誰かのせいにせず、自ら受け止めたとき。
あるいは私のように、就労支援の場で自分の課題と向き合い、小さな目標を一つ達成できたとき。
家族や後輩、子どもなど、自分より誰かを支える立場になったとき。
こうした出来事は、年齢とは必ずしも一致しません。
15歳で家族を支える人もいれば、35歳になっても周囲に支えられながら人生を歩んでいる人もいます。どちらが優れているという話ではなく、人生にはそれぞれ異なる事情があります。
だからこそ、大人とは年齢ではなく、「自分の選択が生む結果を、自分なりに受け止めようとする姿勢」に近いものなのではないでしょうか。
裏を返せば、大人になることに「遅すぎる」はありません。何歳であっても、人は新しい責任を引き受け、その積み重ねの中で成熟していくことができます。
「まだ大人になれていない」と感じる人へ
仕事をしている。
家庭を持っている。
それでも、ふとした瞬間に「これで本当に大人と言えるのだろうか」と不安になることがあります。
私自身も、自分で考えて動けるようになったと成長を感じる反面、ふとした時に「まだまだ孤独には耐えられないな」と、自分の未熟さに気づいて苦笑いしてしまうことがあります。
実は、こうした感覚は決して珍しいものではありません。
心理学では、自分の知識や能力を客観的に見直せる人ほど、自分の未熟さにも気づきやすいことが指摘されています。
「もっと勉強しなきゃ」「まだまだだなぁ」と悩めるのは、裏を返せば、現状に満足せず自分の現在地を正しく見つめられている証拠なのです。
一方で、自分を振り返る機会が少ない人ほど、自身の課題を認識しにくい傾向があることも研究されています。
もちろん、人の成熟は心理学だけで測れるものではありません。
しかし、「まだ未熟だ」と感じながら学び続けようとする姿勢は、多くの場面で成長につながる態度と言えるでしょう。
大人とは、完成された人ではありません。
未完成であることを認め、それでも少しずつ前へ進み続ける人なのだと思います。
昔の大人と、今の大人
「大人」の基準そのものも、時代とともに変化してきました。
少し前の時代、例えば親や祖父母の世代を振り返ってみましょう。
当時は、学校を卒業して就職し、20代半ばで結婚して家を建てるという『共通の人生モデル』が比較的明確に存在していました。
その順路を歩むこと自体が、そのまま「一人前の大人」になる証でもあった時代です。
しかし現代では、働き方は多様化し、転職や再進学も珍しくなくなりました。
厚生労働省の人口動態統計を見ても平均初婚年齢は上昇傾向にあり、結婚や家庭を持つ時期も人それぞれです。
「この年齢になったらこうあるべき」という社会共通の物差しが薄れたことで、「自分に合う生き方」を探すプロセスそのものに時間を要する人が増えています。
私自身も、かなうラボでの活動を通して、自分なりの歩幅や生き方を日々模索している真っ最中です。
これは現代人が幼くなったからではなく、社会の選択肢が増え、より自分自身の頭で考えなければならない時代になった結果と言えるのではないでしょうか。
昔より大人になるのが遅くなったのではありません。
大人になるまでに考え、選び、決断しなければならないことが増えた時代になった、と言ったほうが実態に近いのかもしれません。
それでも、大人になる瞬間はある
それでも、多くの人が共通して「大人になった」と感じる出来事は存在します。
祖父母や親の老いを実感したとき。
誰かとの別れを経験したとき。
あるいは、自分が頼りにしていた大人もまた、不安や迷いを抱えながら生きていたことに気づいたとき。
こうした経験を通して、多くの人は少しずつ世界の見え方を変えていきます。
子どもの頃、世界の中心には自分がいました。
しかし、大人になるにつれて、自分より誰かの幸せを願い、自分の時間や力を他者のために使う場面が増えていきます。
大人になるとは、自分を犠牲にすることではありません。
自分だけではなく、他者の存在も同じ重さで考えられるようになることなのかもしれません。
そう考えると「大人になる」とは、少しずつ自分の世界を優しく広げていく過程だと言えそうですね。
むすびに
結局のところ、「人は何歳から大人になるのか」という問いに、誰にでも当てはまる正解はありません。
だからこそ、私たちは一生をかけて「自分なりの大人」を探し続けていくのだと思います。
18歳かもしれない。20歳かもしれない。
初めて誰かを支えた日かもしれない。
あるいは、自分の未熟さを認め、それでも前へ進もうと決めた日なのかもしれません。
大人とは、肩書きでも年齢でもなく、今日この瞬間からの生き方の積み重ねです。
だからこそ、「自分はまだ大人になれていない」と悩むことは、決して恥ずかしいことではありません。
「なんだ、私だけじゃなかったんだ」と、今日この記事を読んで少しでも肩の力を抜いて、ほっとしていただけたなら嬉しいです。
その問いを持ち続ける限り、人は学び、変わり続けることができます。
明日、自分より少しだけ誰かのために動いてみる。
例えば私は、事業所で仲間が困っているときに、そっと声をかけてみることから始めてみようと思います。
その小さな一歩もまた、大人になる瞬間なのかもしれません。
そして何年後かに振り返ったとき、「あの頃はまだ未熟だった」と笑えたなら、そのときもまた、あなたは一歩、大人になっているのでしょう。
焦らず、ご自身のペースで、これからの日々を重ねていってくださいね。
以上、ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。


