みなさまごきげんよう。
就労継続支援B型事業所かなうラボ利用者のmayoです。
「頑張ることをやめたら、逆にうまくいくようになった」

そんな話を聞いても、以前の私は、なかなか信じられませんでした。
何かを続けることは良いこと。途中でやめるのは、根性がないこと。せっかく始めたのだから、最後まで頑張るべき。
そんな考えが当たり前になっていて、疲れていても「もう少し頑張ろう」と自分に言い聞かせていました。
でも、あるときふと思ったんです。
「私は、何のためにこんなに頑張っているんだろう」
そう考えてみると、いつの間にか惰性で続けていることが、生活のあちこちに増えていました。
そこで私は、思い切っていくつかのことを手放してみることにしました。
すぐに気持ちが軽くなったわけではありません。やめた直後には「これでよかったのかな」と不安になることもありました。
それでも少しずつ続けていくうちに、以前よりも自分の時間や気持ちを大切にできるようになったのです。
今回は、私が実際にやめてみて「手放してよかった」と感じたことと、その過程で気づいたことについてお話しします。
第1章:「やめる」が怖かった私
私はもともと、何かを続けることこそが正しいと思っていました。
習い事も、人間関係も、いったん始めたものなら簡単にやめてはいけない。途中で投げ出すのはよくない。
そんな価値観があったので、気が進まなくなっても、「ここでやめたらもったいない」と考えていました。
今思えば、「続けたいから続けている」のか、「やめるのが怖いから続けている」のか、自分でも分からなくなっていたのだと思います。
特に怖かったのは、周囲からどう思われるかということでした。
- 「飽きっぽいと思われないかな」
- 「嫌われたらどうしよう」
- 「頑張れない人だと思われたくない」
そんなことを考えているうちに、自分の気持ちよりも周囲の期待を優先することが増えていきました。
でもある日、何気なく立ち止まって、「これは本当に私がやりたいことなんだろう」と考えてみました。
すると、生活の中には「やりたいこと」ではなく、「やめる理由が見つからないから続けていること」がいくつもあることに気づいたのです。
そこで初めて、「続ける」だけではなく「やめる」という選択肢もあっていいのだと思うようになりました。
第2章:SNSを頻繁にチェックするのをやめてみた
最初に手放したのは、SNSを何度もチェックする習慣でした。
朝起きるとスマホを開き、ちょっとした空き時間にもSNSを見る。
寝る前にも「少しだけ」と思いながら画面を眺める。
特に嫌だったのは、誰かの充実した投稿を見たあとでした。
旅行、仕事、友人との食事、楽しそうな休日。
他人の生活を見ているだけなのに、いつの間にか「それに比べて私は何をしているんだろう」と、自分の生活までつまらなく感じてしまうことがありました。
そこで、通知をオフにして、スマホのホーム画面からSNSアプリを消し、開く回数を1日1回程度に減らしてみました。
最初は落ち着きませんでした。
スマホを手に取るたびにSNSを開きそうになり、「何か新しい情報を見逃しているのでは」と気になりました。
ところが、しばらくすると、その時間が少しずつ自分の時間に戻ってきました。
読書をしたり、ゆっくりお茶を飲んだり、何もせずぼんやりしたり。
以前なら「暇だからSNSを見よう」と使っていた時間を、自分で選べるようになったのです。
SNSそのものを悪いものだと思っているわけではありません。
ただ、私の場合は「見たいから見る」のではなく、「何となく見る」が増えすぎていました。
SNSを完全にやめる必要はなくても、自分がどれくらいSNSに時間を使っているのかを見直すだけで、思っていた以上に心の余白が生まれることを知りました。
第3章:「完璧にやらなきゃ」をやめてみた
次に手放したのは、「何事も完璧にやらなければいけない」という考え方です。
家事も仕事も、できるなら100点を目指したい。
少しでも中途半端になると、「もっとできたはず」と自分を責めていました。
そんなとき、心身の疲れからか、朝起き上がれないほど体調を崩した時期がありました。
最初はベッドの中で「ちゃんとやらなきゃ」と焦りましたが、このまま無理を重ねては身が持たないと思い、ここでも思い切って「完璧」を手放してみることにしたのです。
掃除は最低限。
料理は簡単なもの。
できないことは無理にやろうとせず、できないままにする。
最初はかなり抵抗がありました。「こんな状態でいいのかな」と落ち着きませんでした。
でも、実際にそうしてみると、意外にも生活はちゃんと回りました。
それどころか、無理をしていたときよりも気持ちに余裕ができました。
そこで気づいたのは、「完璧をやめる」というのは、何もしなくなることではないということです。
その日の自分にできる範囲まで、合格ラインを下げる。
今日は60点で十分。明日できることは明日に回す。
そんなふうに考えられるようになると、以前よりも自分を追い詰めなくなりました。
「ちゃんとやる」ことは大切でも、「いつでも完璧にやる」必要はない。
これは、私が実際に生活の中で試してみて初めて分かったことでした。
第4章:気の進まない誘いに無理して応じるのをやめてみた
三つ目に手放したのは、気が進まない誘いに惰性で応じることです。
以前の私は、誘いを断るのが苦手でした。
「断ったら嫌われるかもしれない」
「せっかく誘ってくれたのだから行かなきゃ」
そう考えて、あまり気乗りしない集まりにも参加していました。
もちろん、行ってみたら楽しかったこともあります。
でも、毎回そうとは限りません。
帰宅するとぐったりして、翌日まで疲れが残ることもありました。
ある日、どうしても気が進まない誘いがあり、思い切って「今回は見送らせてください」と伝えてみました。
送信したあと、「感じが悪かったかな」と何度もスマホを確認しました。
ところが、返ってきたのは思っていたよりずっとあっさりした返事でした。
そのとき私は、「自分が思っているほど、相手は自分のことを気にしていないのかもしれない」と感じました。
もちろん、何でも断ればいいという話ではありません。
仕事や家族との付き合いなど、簡単には断れない関係もあります。
それでも、毎回すべての誘いに応えなければ人間関係を維持できないわけではありません。
私の場合は、無理に予定を埋めるより、本当に会いたい人や大切にしたい時間を選ぶほうが、結果的に人との時間も楽しめるようになりました。
第5章:やめてみて初めて分かったこと
いくつかのことを手放して、一番大きく変わったのは、「自分の時間を自分で選んでいる」という感覚でした。
以前は、
「やらなきゃ」
「断れない」
「ちゃんとしなきゃ」
という気持ちで動くことが多かったように思います。
今でも迷うことはあります。
SNSを見たくなることもありますし、完璧にできなかった自分を責めたくなる日もあります。
誘いを断ったあとに「本当にこれでよかったのかな」と考えることもあります。
つまり、やめたからといって、すべての悩みがなくなったわけではありません。
それでも以前とは違います。
「続けるべきか」だけではなく、「これは今の自分に必要なのか」と考えられるようになりました。
そして、やめることは必ずしも何かを失うことではないと分かりました。
ひとつ手放すことで、時間が生まれる。
時間が生まれることで、気持ちに余裕ができる。
余裕ができると、本当に大切なものに目を向けられる。
私にとって「人生が軽くなった」と感じたのは、何か特別なものを手に入れたからではありません。
むしろ、必要以上に抱えていたものを少しずつ減らしたからでした。
まとめ:手放すことは、人生を軽くする小さな一歩
「やめる」という言葉には、どこか後ろ向きな印象があります。
途中でやめる、諦める、投げ出す。
以前の私も、そんなふうに考えていました。
でも今は、やめることも自分の生活を整えるための選択肢のひとつだと思っています。
もちろん、何でもやめればいいわけではありません。
続けたほうがいいこともありますし、時間をかけて向き合うべきこともあります。
大切なのは、「続けることが正しい」と決めつけないことなのかもしれません。
もし今、何かを続けることに疲れているなら、一度だけ立ち止まってみる。
「私は本当にこれを続けたいのか」
「やめたら何を失うのか」
「そして、やめることで何が得られるのか」
そう考えてみるだけでも、見え方が変わるかもしれません。
私の場合、手放してみて初めて、自分が思っていた以上に多くのものを抱えていたことに気づきました。
頑張ることだけが、前に進む方法ではありません。
ときには、思い切ってひとつやめてみる。
休日の朝、SNSを見ずにゆっくりお茶を飲んでいるとき、ふと『これでいいんだ』と安心する私がいます。
その小さな選択が、毎日を少し軽くしてくれることもあるのだと思います。
この記事が、毎日を頑張りすぎている誰かの心を、少しでも軽くするヒントになれば嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。


