
こんにちは!シマエナガです(*’ω’*)
今日は『自分は病気にならないと思ってたらなってしまった』お話をしたいと思うよ!
多分、誰も自分が病気になると思って生活してないよね。
シマエナガもそんな一人だったから、
いつ 誰が 精神疾患になるか
そんなことはわからないよ!って話を実話で語っていくよ~
バリバリ働いている人生
私の経歴はその時の自分の直感で動いてきたのが丸出しのものです。
フリーターしながら通信制の大学に行ったり、
家から近いからというだけでソーシャルワーカーの募集もかけていない病院に面接取り付けたり、
元夫の都合で引っ越したタイミングで資格取るためにまた通信制大学に通ったり、
資格を持っているのに最初は病院の事務に応募したり、
採用されて私のために資格職の枠を取ってくれて昇給したり、
産休に入る別病院の人から『是非、シマエナガさんに来てほしい!』と言われて転職したり。
好きなように生きていたのです。
親には基本的に事後報告だったので、急に仕事決めてきたみたいになってましたね(笑)
ちなみに、結婚も「するね~」みたいなノリ・・・
文句を言いながらも働くことが好きだったし、自分の仕事に誇りを持っていたしね。
【病院内の何でも屋】みたいな立ち位置だったから、自分の部署で面倒でやりたくないこととかよく投げられたなぁ…
病院の規模にもよるけど、大きい病院じゃなければ細かく部署は分かれてないので、基本的に何でもやってたよ!
その中でも今でも記憶に残ってることっていっぱいあるんだけど、
秘密保持なことが多いからそれに引っかからなそうなものでいうと「挨拶ができない大人たち」っていうのが衝撃的だったなぁ。
入院患者さんのご家族が「こんにちは、いつもありがとうございます」とか丁寧に言ってくれても、返事しないって、すごい数のクレームがきてびっくりしたことがあってだね(笑)
それを2年くらいかけて改善していったわけだけど、「大人で挨拶出来ないとか本当にあるんだ!!」って驚いたよね~
そんで、スタッフに改善を求めたら総スカンくらったことあったの。
いや、挨拶出来ない方がやばくない?
って言いたかった。言いたかったけど、我慢したよ
大人だもの(笑)
毎日、入退院の調整や家族からの相談、他部署との連携、記録記入、新規取引先病院の開拓、あいさつ回り・・・
忙しかった!!!一人部署だったから業務量が!!!
でも、私の天職だと思ってずっとやってきた。
「ありがとう」の一言で、すんごい大変だった調整もやって良かったと思える。
ずっと、この職業で生きていくんだって、新しい資格取ろうかとか色々考えてた。
でも、出来なくなっちゃったの。
身体の異変
約8年前、産休代替で別の病院のソーシャルワーカーから
「自分がいない間シマエナガさんにお願いしたい」
と打診をされたので、色んな病院を経験したかった私は受けることにしたの。
最初は良かった。
3か月くらいしてから、医師から無視されるようになったり、
職員だけでなく患者さんのいるところで大声でしっせきを受けたり、
言ってることが毎回違ったり、
私の悪口をナースに吹聴して回ったり、
容姿のことをちくちく言われたり、
もう毎日毎日何かしらされていたのね。
いわゆるパワハラだよねー
入職して半年くらい経ったころ、眠れなくなって寝ないまま仕事に行ったりしてた。
でも、働かないと生活できないし産休代替としている身だから迷惑をかけちゃいけないって頑張って仕事してた。
そんなとき、産休に入ってた人が戻ってくると決まって一緒に仕事するようになったら…
仕事しながら泣いてたり、文章が頭に入ってこない、ご飯の味がしないっていっぺんに不調がでてきた。
多分、産休の人が戻ってきてくれて張ってた糸が切れたんだろうね。
ある日、普通に出勤の準備をして玄関で靴を履こうとしたんだけど
足が動かないのよ。本当にこんなことってあるんだよ。
靴を履くことを拒否してるの。
体調も悪くなってきて、なのに足が固まったように動かない。
仕方なく休ませてもらった。
産休の人に事情を話したら1か月やすんでみたら?って提案してくれたからお言葉に甘えて休ませてもらうことに。
産休の人が戻ってきても辞めなかったのは、産休の人が事情があってフルタイムで働けなかったから年内落ち着くまではいるよ、っていう話になってたから。
申し訳ないけど、上の人に許可を取って1か月休ませてもらうことにした。
休んではみたものの
とにかく体調が悪くて外に出られないから病院に行くことすら出来ない。
毎日眠れず、何日も完徹してやっと眠れたと思ったら15分。
食欲もなくなり大好きなゲームも出来なくなった。
それどころか、ベッドから起き上がれない。
身体に子泣き爺でも乗っかっているのかと思うほど重くて、トイレも四つん這いで行く。
お風呂なんて入れない。
食欲はないけど食べないとダメになると、ネットスーパーで食料を頼んでいた。
この時代に生まれて良かったと思った瞬間だったね。
母親に「体調が悪くて仕事休んでる」って感じのメールをしたら、すぐに電話がかかってきて、
「外に出て気分転換でもしたら~?」っていつも通り軽い感じで言われて、
動けなくてイライラしてた私は(今思うとそれも症状だったかも)、
「外に出られねぇっつってんだろ!!!」
って怒鳴って電話切ったのよ。
そうしたら、次の日母親が朝早く家に来た。
「昨日の電話の様子がいつもと違ったから心配で」って。
母親ってすごいなぁと思ったよね。
その時、病院に連れて行ってもらえばよかったんだけど体調が悪すぎて動けなかったの。
とにかく、生きていること、今の状況の説明、それだけして帰っていった。
「ゆっくり休め」
って、メンタルが疲れてる人に言うじゃない?
私もクライアントに言ってきた。周りからも言われてきたし。
ぜんっぜんゆっくりなんて休めない!!!
ということがわかった。
なぜなら、頭の中にもやがかかってる状態なのに仕事を中途半端にした罪悪感、働かないと生きていけない不安感、自分の身体がおかしくなってる不安感、このままだったらどうしようという絶望。
ずーっと頭の中でぐるぐるしていて頭は休まらないし、寝られないしで全く休まらない。
ゆっくりなんて休めないんだよ!!!
仕事を辞める
結局、1か月では良くならず例の医師からは
「いつまで休んでるんだ。いつ辞めるんだ。診断書を出せ」
と言われ、体調が悪すぎてすぐには行けないし精神科の初診てすっごい待つのよね。
でも、運が良くて初診の予約が取れて体調が悪い中言ったら案の定【うつ病】と診断された。
もうね、眠れなくなってる時点でうつだなって思ってたんだよね。
それでも、我慢してたのはやっぱり産休代替という立場だったから。
産休の人が築き上げたものを壊してしまわないように、言い返さずに限界超えて我慢してたの。
元々は筋の通らないこととか悪意を向けられたりしたら本人に対して口に出すタイプなのよ。
それを限界超えて我慢してたらメンタルが灰になっちゃった。
で、ここからも酷いんだけど…
診断書を出しに行ったら
「こんな診断名ついて働けないでしょ。今日で辞めて」って言われて。
『じゃあ傷病手当金の書類お願いします』ってお願いしたら
「復職できる前提でなければ書かない」って言われてねー
『じゃあ然るべきところに行きます』って反論したら渋々、めっちゃ渋々書くことを了承した。
ここまで読むとその医師と話し合ったと思うでしょ?
話し合いの場には看護師長と事務のおじさんしかいなくて、事務の人が伝書鳩してたの(笑)
本人、一度も顔を見せなかった。
体調も悪いし、もうこんなところにいても学ぶものは何もないって言い聞かせて荷物片付けて帰ったよ。ここまでやってきたのにすごく悔しくて悔しくて。
それからは、家でずっと横になってる生活。
これからどうしようって考えても頭にもやがかかってうまく考えられない。
でも、独身になった今ここにいる意味はないって思って最後の力を振り絞って実家の近くに引っ越した。
何で一人暮らしなのかは家族関係の距離感とかの問題があるので話し合って決めたことだからね!
それから約3年、ほぼベッド上から動けず通院は死ぬ気で行く(キャンセルすることもあった)、ご飯は親が持ってきてくれる、そんな生活をしていたの(‘ω’)
で、きちんとした治療を始めたのがちょっと遅かったからずっと調子が悪いままだったんだけど、薬を調整して飲み始めたら『頭のもやが晴れた!!』ってなって、ようやく思考が出来るようになった。
結局、【重度うつ病】って診断名がつけられた。
それからのシマエナガ
「ゆっくり休みな」を色んな人から言われ過ぎて、
『だから休めないんだってば…』ってなって、頑張れもキツイけどゆっくり休めもなかなかだなって気付いた。
とりあえず、薬を飲み始めたら信じられないくらい太って、さらに外出困難だったから余計に太って以前の私の見る影もなくなってしまった。あまりにも太ったから薬ってこんなに太るのか!って知った。
頭のもやも晴れて、早く働かなきゃ生活がヤバいって焦って【就労移行支援】を使うことにした。
今なら何で急にそこに行くの!?って笑えるけど、当時は真剣に焦ってた。
でも、強力な外出困難なため通所できず1年粘ってもダメで、やっぱり自分は生きてる価値ないや…って(多分この思考も病気)なってた時に、かなうラボを紹介してもらったの。
全くの畑違いの内容だったけど、そういうのを学ぶのもいいな、オンライン上で出来るなら私も出来るかなって、オープンのメンバーになったのです(´ω`)
未だにメンタルの波はくるよ。
睡眠障害も全然コントロールできない(笑) 何コレ、どうやって普通に寝ればいいの?
希死念慮と戦ってるときは本当にきつい。
目に見えないから「筋トレすれば治る」とかわけわかんないこと言われたりもするけど、一番危ないのは今の私のように良くなり始めてて多少でも動けるようになったとき。
希死念慮って常にあるけど、急に強くなるんだよね。しかもそれがくるのってすごくナチュラルに思考に入ってくるからそうすることが当たり前、みたいな感覚になるの。
そういうことも自分がならなければわからなかった。
自分は元気で仕事バリバリして、好きなことして生きていくんだー(*’▽’)って思ってたのにいつもなら言い返してたところを極限まで我慢したらこんなんになってしまった。
こんなふうになる前に何とかしろとか、うつ病は甘えとか言ってる人が未だに多くて本当に無知って怖いと思うけど、出来ない人もいるの!ゆっくりも休めない!!
身体の病気と同じで個人差があるから寛解するか治るかはわからん!!
頑張りたいと思ってるよ!でもね、調子によっては本当に頑張る力が出ない時もある。
少しづつしか出来ることが増えない。
それでも、社会復帰を目指してこうやってブログを書いてるんだよ(‘ω’)
長文を読んで下さってありがとうございます。
目に見えない病気は理解されにくいけど、自分がいつなるかわからないのは身体の病気と一緒。
私はならないと思ってたからね~
こういう人間もいると知ってください。
シマエナガでした(*’ω’*)