就労継続支援B型事業所かなうラボの記事を更新♪

🍀私と主人の歩んだ15年~主人の闘病記~🍀

趣味・日記
この記事は約7分で読めます。

就労継続支援B型かなうラボ利用者の^^ackey^^です♪
今回は私と主人の歩んだ約15年間の、出逢いから結婚後の主人の闘病記を書かせていただきます。

今後、福祉の仕事に就きたいと思われている方、現在病気で苦しんでいらっしゃる方、色々な方の参考になれば嬉しいです^^

結婚に至るまで

まず、私達夫婦の出逢いから。
私は30歳超えて仕事をオープンでやっていくことを決め、ハローワークへ出かけました。
そこで、昔から憧れていた官庁の障がい者枠のパートの募集を見つけます。
しかも望み通り、短期ではなく長期採用でした。
郵便局の裏方の事務職だったのです。
私は早速履歴書を仕上げ、ハローワークに希望の申請をして面接を受けに行きました。
結果、即日採用🙌
他の人は1週間待たされるはずが、なぜか私だけ即日採用決定でした。

その郵便局に正社員でいた1人が主人でした。

郵便局、と言っても裏方は非常に乱雑で、ガヤガヤしていました💦
採用されてから現場を見たときは、
『この環境下で事務職するのか…。できるのかな???』

といった一抹の不安もよぎりました。

それでも採用されたからには頑張らねば💪
ととにかくがむしゃらで、食らいついていきました。

そんな私を遠くから近くから見守っていてくれていたのが主人でした。
主人は私が採用された時から
『障がい者枠で新人の事務さんが入るから、気を付けてあげて。』
と上司から言われていたようです。

実際仕事ぶりを見ていると、
『どこが悪いんだろう?逆に笑顔が優しそうだけど??』
と思ってくれていたようです♪

私は数か月仕事をしていくうちに、スタッフとも馴染んできました。
私の主人に対する最初の印象は、
『なんかカタブツそう。』
という正直あまりいい印象はなかったです。
でも!お昼休みに話をしていくうちに、
『なんか話しやすいし、居心地がいいかも?』
と印象が変わっていきました。

父から
『結婚相手は大卒、サラリーマンじゃなきゃダメだ!』
と言われ続けて育ったので、
短大の合コンではメガネをかけた、インテリ男子にばかり標的を定めていました。

主人の学歴は知らなかったのですが、確かに見るからに勉強好き男子でした(もちろんメガネ)👓

当時私は図書館司書の資格が取りたくて通信講座を考えていたので、
『これは主人に相談してみよう♪』
と思い、資料をコピーしてお昼休み中に、
『どうかな?』
と相談していたら、世話焼きおじさんの職員に、
『おまんら、くっつけ!』
と言われ、その流れで主人よりもお姉さんだった私は、主人をお昼ご飯に誘いました。

その後、ご飯を2人で食べてから映画を観に行ったのを覚えています。
映画は、主人が恋愛映画の前で立ち止まったので、
『これが観たいの?』
と聞くと、
『うん。』
というので、それを観ました。
ガッキー(新垣結衣)主演の『恋空』でした。

ホントは私は戦争映画が大好きでしたが、ここはお姉さん!聞いてあげねば!
と思いました。
終わってから、私が戦争映画が大好きなことを話すと、
『恋愛映画が好きなのかと思った!』
といってました。
しばらくして戦争映画も観に行きましたが(笑)

主人の話を聴いていると、色々なことが判明しました👀
主人は不思議な学歴の持ち主で、大学の勉強の単位はみんな『A』なのに、体育だけダメで単位がもらえず中退、となっていたのです。
その後主人はどうしても学士の資格が欲しい!と通信制の大学に仕事をしながら通っているところでした。

主人はしばらくしてから仕事を窓口に移籍したのですが、私との交際は順調に続いていました。
あと半年で、通信の大学を除籍になる。
と聞いたとき私は、
『中途半端じゃダメ!しっかり卒業すること!!スクーリング行ってきなさい!』
とお尻を叩いたので、主人もその気になったのか、無事卒業できました🌸

そんなこんなで3年お付き合いを重ね、私たちは無事結婚しました!

昇格が仇か?主人の郵便局転落人生

主人はそれから仕事で昇格のチャンスが来て、結婚もしたことだし、のることにしました。
それが良くなかったのでしょうか、部下には頼られ、上司には圧がさらに増え、ストレス満載状態の上、直属の上司とうまくいかず、降格して元の位に戻ることに。
そこまでならよくある話ですが、遠い局に飛ばされてしまい、通勤がとても苦痛になり、最後は『かんぽ問題』のさなか、退職することになります。
退職に至るまで、郵便局は福利厚生が手厚いため、5年休職します。
その間もお給料は発生していました。

主人なりに焦りを感じ、
『何か仕事をしなくては』
とハローワークで色々当たるんですが、ことごとく不採用。
そして主人は『うつ病』と診断を受けるのです。

幼少期の主人

幼少期から主人は、『笑わない子』だったそうです。
今聞くと、
『笑うと相手をバカにしているようで悪いことだと思っていた。』
とか。
運動が人一倍苦手で、勉強は比較的得意だったこともあり、
『僕は勉強で勝負していくんだ!』
と決心して勉強とゲームばかりしていた子供だったそうです。
社交性も乏しく、学校のお友達の間で孤立してしまうこともあったようです。

当時の学校教育は、今と違って勉強さえできていればいい、みたいな風習があったため、
主人のくすぶっていた心の病気は見過ごされ、そのまま大人になりました。
小学校時代の仲間からは「博士」と呼ばれていたんです。

主人の精神科受診と診断名、その後

主人は心の焦燥感とどこにぶつけていいかわからない不安感でいっぱいになり、家で休んでいてもいたたまれなくなり、精神科を受診します。
最初の病院では『うつ』と診断されて、薬を処方されますが、全然よくならない。
そこでいくつか病院を渡り歩き、ある病院で鋭い名医にあたり、
『君は小さい頃「博士」とか呼ばれてなかった?』と聞かれ、
『はい、その通りです。』と答えたら、すぐに知能検査をしてくださり、『IQ126』とでて、
『アスペルガー症候群です。』
と初めて主人が納得いく診断名を頂けました。

実は主人も小さい頃から、ココロを病んでいたんです。
主人は自分が何者か、初めて気づけた安心感があふれ出たようです。

それからは、心療内科を通して、郵便局の年金担当と何度か話し合い、
『復職できないんじゃ、生活していけないでしょ。』
という事で、障害の等級を2級に上げてもらうことができました。

5年の休職期間が切れ、退職した後は、昔から念願だった税理士の勉強を始めます。
が、税理士は資格があっても在宅勤務はほぼ絶望的。
私の父が生前、私達を呼び出して、怒られるかと思ったら、父は主人に、
『君は在宅勤務を望んでるんならITの道はどうだ?そちらなら在宅勤務も可能だろう。』
と穏やかに話してくれました。

結局勉強は60過ぎのセカンドライフに残し、今はまず生活していくお金を稼がねば!
と夫婦そろって、在宅勤務をすることを考えました。

そして、今に至ります。
私達もいろいろな在宅勤務のB型事業所に所属してきましたが、
こんなに自由で、こんなに意見を聞いてくれ、こんなに楽しく仕事ができる事業所は最初で最後です!
日本で唯一⭐と言っても過言ではないと思います。

今後も夫婦そろって、この素敵な『かなうラボ』さんに、お世話になろうと思います!

ブログお付き合いくださりありがとうございます^^
では、また🍀



🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃私の家族の想い出にまつわるレシピはこちら🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃

🌸我が家直伝の知られざる味シリーズ~料理と私編①~🌸~和風タコライスのレシピ~
https://kanau-lab.co.jp/blog/2532
🌸我が家直伝の知られざる味シリーズ~父編⓶~🌸~卵チャーハンのレシピ~
https://kanau-lab.co.jp/blog/2544
🌸我が家直伝の知られざる味シリーズ~母編⓷~🌸~茶飯のレシピ~
https://kanau-lab.co.jp/blog/2556
🌸我が家直伝の知られざる味シリーズ~祖母編⓸~🌸~ブロック肉ステーキのレシピ~
https://kanau-lab.co.jp/blog/2631

🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃🍃