
こんにちは!寒いこの頃、何かと気怠いながらもなんとか毎日を過ごしている、就労継続支援B型かなうラボ利用者のちゅぱかぶらです!
皆様はご存じでしょうか。「オーブリー・ビアズリー」という、たった25年でこの世を去ってしまった画家のことを。
彼の作品を象徴するのは『サロメ』という作品でしょう。もしかしたら「見たことある!」という方もいるかもしれません。オスカー・ワイルドという作家と共に長年仕事をしていたことで有名です。
しかし幼い頃から結核を患っていたため、たった25年でこの世を去ってしまいました。
ですが残した絵は1000枚以上、しかも一緒に仕事をしていたオスカー・ワイルドと「絵」で喧嘩し続けたという、波乱万丈の25年間を送った人物なのです。
今回はそんな私の好きな作家のひとり、「オーブリー・ビアズリー」について紹介します。
そもそもどんな人?

ビアズリーはイギリスに生まれ、7歳で結核を患ってしまいます。しかし父親は正直遊び歩くちゃらんぽらん、母親は厳格な教育者で、ピアノのレッスンなども受けさせられ、わずか16歳で父の代わりに生計を立てるため事務の仕事に就くという、多忙な身の上でした。
しかし、仕事から帰ってきたらすぐにカーテンを閉め、蠟燭を灯し、そこで絵を描く。それが彼のルーティーンだったと言います。絵は独学でしたが評価され、18歳の際にスカウトされ、画家になることを決意します。
「気に入らないィ?それならもっと気に入らなくしてやる!」

彼の性格を象徴するとっておきのエピソードがあります。それこそ、上記で語ったオスカー・ワイルドの『サロメ』の中にもあります。
正直なところ、オスカー・ワイルド自身は、ビアズリーの作風を気に入っていませんでした。「たちの悪いらくがき」とこき下ろすほどまでです。
そこまで言われたビアズリーは黙っていられなかったのでしょう。なんと『サロメ』の絵の中に、オスカーワイルドの似顔絵を、あえて不細工に描いて紛れ込ませたのです!
まるで「私のバトルフィールドはここだ!」と言っているように、私には感じられました。
それ以降も、その「不細工な似顔絵」の嫌がらせは何度か続いたようで、2人はしばらくバチバチとしていたようです。
しかしその後、オスカー・ワイルドの同性愛裁判に巻き込まれ(当時はまだ罪だったのです)、彼は職を失うこととなったのでした。
残った時間で、描けるだけ描く。

職を追われたその後も、彼は絵を描き続けました。彼を手助けしてくれる人もいたようで、生きている間はずっと絵を描いていました。
しかも、その絵は新しくなればなるほど、新たな技法に挑戦していったのがわかります。彼自身、自分にどんな表現ができるのか、試してみたかったのかもしれません。
しかし無情にも結核の悪化により、たった25歳でこの世を去ることになってしまいました。
これが人生を「絵」に捧げた一人の画家、「オーブリー・ビアズリー」です。
好きなものを追及する、意地。

これは私個人の感想ですが、彼はかなり挑戦的で、かつ意地っ張りだったのだと思います。
どんなに「嫌だ」と言われても「これが私の作風だ!」と嫌がらせに転じるというエピソードには思わず笑ってしまいました。
でもそれだけ、彼が「自分の絵」にプライドを持ち、そこに自分の「意地」を込めていたんだなと私は思いました。
そんな彼の生きざまを、私は見習いたいと思ったのでした。
たった25年で亡くなってしまったのが、本当に残念でなりません。
しかし作品はたくさん残されており、観る機会はまだまだあると思います。皆様も、もし気になったら、彼の生涯を想いながら観に行ってみてはいかがでしょうか。


